【刻む記憶~東日本大震災10年】八戸に伝わる「津波てんでに」 体験学習館長の前澤さん、伝承に意欲

八戸市に伝わる言葉「津波てんでに」の伝承に取り組む前澤時廣さん=3月下旬、同市
八戸市に伝わる言葉「津波てんでに」の伝承に取り組む前澤時廣さん=3月下旬、同市
過去に幾度も甚大な津波被害を受けた三陸地方に伝わる言葉「津波てんでんこ」。津波が発生した際、おのおのが高台に避難するという口碑だが、八戸市の湊地区や江陽地区などの沿岸部にも「津波てんでに」という言葉が古くから伝わっている。ただ、多くの市民は.....
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 過去に幾度も甚大な津波被害を受けた三陸地方に伝わる言葉「津波てんでんこ」。津波が発生した際、おのおのが高台に避難するという口碑だが、八戸市の湊地区や江陽地区などの沿岸部にも「津波てんでに」という言葉が古くから伝わっている。ただ、多くの市民は知らず、年配の人たちがかすかに記憶にとどめる程度で、伝承が途絶えてしまっているのが現状だ。東日本大震災の発生から10年が過ぎ、市みなと体験学習館長の前澤時廣さん(69)は「今後、新たな災禍を生まないためにも、改めて言葉を紡いでいきたい」と、講演活動などを通じて普及に努めている。[br][br] 昭和三陸地震やチリ地震、東日本大震災と、数十年に一度のペースで大津波の被害を受けてきた同市。ただ、「津波てんでに」という言葉を知る人は少ない。同市湊町の飲食店従業員の男性(28)は「聞いたことがない。てんでんこなら震災以降に知ったけど」と首をかしげ、自営業の男性(58)も「ぱっと聞いて意味はなんとなく分かるが、初めて聞いた」と話す。[br][br] 一方、年配の市民の中には、その言い伝えを覚えている人もいる。市営魚菜小売市場で働く女性(84)は「自分が小さいころに両親から聞いたことがある。電柱にもその言葉を記したポスターが貼られていたような気がする」と記憶をたどる。漁業の男性(72)も「祖父母に口酸っぱく言われていた」と振り返る。[br][br] 市内の津波に関する史料には、「津波てんでに」という言葉はほとんど記されていないが、2018年に発行された湊町歴史文化産業ガイドブック「湊町知の散歩」には過去からの教訓として紹介されている。[br][br] 前澤さんも幼いころから家族に教えられてきた一人。1960年5月、小学3年の時に発生したチリ地震津波では、その教えを守って、自宅のあった江陽地区から速やかに避難した。「海に近い人たちはその言葉を知っており、当日は全員が一目散に逃げた」と振り返る。[br][br] やがて襲来した津波によって沿岸の住宅や工場は浸水。死者・行方不明者3人を出すなど被害を受けたが、60年が過ぎた今、その言葉も忘れ去られてしまった。「ほかの沿岸市町村に比べると、被害が少なかったことや、60年という長い歳月で伝承は途絶えたのだろう」と推し量る。[br][br] 先月には日本海溝・千島海溝沿いを震源とする巨大地震が発生した場合、八戸に最大26・1メートルの津波が襲来するという想定が出されるなど、津波への備えが改めて重要性を増している。[br][br] 「今はまだ東日本大震災を記憶している人も多いが、時がたてば再び風化してしまう」と警鐘を鳴らし、「自分の命は自分で守るという意識を多くの人に持ってもらうのが、津波てんでにを知る自分の使命だ」と力を込める。八戸市に伝わる言葉「津波てんでに」の伝承に取り組む前澤時廣さん=3月下旬、同市