北奥羽の地名【五十貫田】/どんな由来?

【五十貫田=こぬきた】 十和田市洞内にある地名で、同市中心街から北西の七戸町との境に近い台地に位置する。集落の周りには田畑が広がり、そこから眺める八甲田の山並みは雄大だ。南側の沢地には豊良川が流れる。 郷土史研究家によると、、五十貫田はアイ.....
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 【五十貫田=こぬきた】[br] 十和田市洞内にある地名で、同市中心街から北西の七戸町との境に近い台地に位置する。集落の周りには田畑が広がり、そこから眺める八甲田の山並みは雄大だ。南側の沢地には豊良川が流れる。[br][br] 郷土史研究家によると、、五十貫田はアイヌ語で「猟小屋のある場所」を意味し、もともとの発音は「コウヌクダ」。洞内や豊良もアイヌ語とされており、研究家は「縄文時代から狩猟が行われてきたのだろう」と推測する。[br][br] なぜ五十貫田の漢字が当てられたのか分からなかったが、五十貫は187・5キロに当たり、地域の古老は「あまりコメが取れない田だったのかな」と冗談交じりに話す。[br][br] 集落の大半が小笠原姓で、生け垣のある大きな家が多い。近くで商店を営む男性に聞くと、集落には元日に分家が本家に集まって祝う「地頭礼」と呼ばれる風習があった。「親類が一堂に集まり、楽しく飲んでいた」と懐かしむ。