【青森コロナ1年】県内初のクラスター発生施設 職員の心の傷、今も癒えず

施設に寄せられた声援の手紙。当時、施設内に張り出され、職員を励ました(施設提供)※写真は一部加工しています 
施設に寄せられた声援の手紙。当時、施設内に張り出され、職員を励ました(施設提供)※写真は一部加工しています 
「周囲に対して、ごめんなさいという思いは一生消えない」―。昨年4月、青森県内で初めて新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)が発生した十和田市の認知症グループホーム。未知のウイルスによる集団感染は地域に衝撃を与えるとともに、施設の日常も.....
有料会員に登録すれば記事全文をお読みになれます。デーリー東北のご購読者は無料で会員登録できます。
ログインの方はこちら
新規会員登録の方はこちら
お気に入り登録
週間記事ランキング
 「周囲に対して、ごめんなさいという思いは一生消えない」―。昨年4月、青森県内で初めて新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)が発生した十和田市の認知症グループホーム。未知のウイルスによる集団感染は地域に衝撃を与えるとともに、施設の日常も一変させた。誹謗(ひぼう)中傷が殺到する中、施設に寝泊まりしながら利用者の介助を続けた職員たちだが、1年近くたった今も心の傷が残っている。 [br][br] 施設では昨春、入居者と職員の計9人が感染した。検査で陰性だった職員も、家族に高齢者や幼児がいる人などは出勤を取りやめにした。ほかの職員は経過観察をしながら勤務を続けたが、家族への感染を恐れ、帰宅を拒む職員も多かった。そのため施設側は急きょ、敷地内にプレハブを設置。1人分はベットと暖房器具のみを置いた2畳ほどの広さで、6人が2週間寝泊まりした。[br][br] 24時間体制の仕事を通常の6割の人員で対応するため、職員に休日はなく、残業時間は相当膨らんだ。感染の恐怖と隣り合わせで、利用者のせき一つで体が震えた。施設長は「災害なら応援を受けられるだろうが、未知の感染症に誰にも助けは求められず、自分たちで何とかするしかなかった」と振り返った。[br][br] 誹謗中傷は、最初の感染者が公表される前からうわさによって始まっていた。公表以降はひっきりなしに電話が鳴り、一日中対応に追われた。職員の一人は「ひたすら謝ることしかできなかった。電話口でしゃがみ込むくらい怖かった」。電話が鳴り響く音は今でもトラウマ(心的外傷)になっている。[br][br] 最もつらかったのは、知らないうちに家族や同じ法人の別の事業所で働く同僚、その子どもが誹謗中傷の的になっていたことだ。「(不要な中傷を受けた人たちに)一生ごめんなさいという思いは消えない」。今も自らを責め続けている。[br][br] 感染した職員の中には、復帰できずにそのまま退職した人もいる。実際に感染した職員は「みんなに迷惑をかけ、死んでしまいたいと思うこともあった」と苦しい胸の内を語り、退院後は人の目を恐れ、隠れるように生活を送ったという。今は多少落ち着きを取り戻したが、「私のコロナは一生終わらない。ワクチンが普及しても、一生背負っていくだろう」と、癒えない心の傷を吐露した。[br][br] 一方、施設には励ましや支援もあった。当時品薄だったマスクを手作りして弘前市から送ってくれた人、冷静に行動するよう住民に呼び掛けてくれた町内会長…。「大丈夫、頑張って」という言葉だけでも救いになった。[br][br] 今回、再び誹謗中傷が寄せられることも覚悟して取材に応じたという施設長。取材に応じた理由をこう話した。「望んで感染者を出したわけではないが、起こったことを知らせる義務がある。つらい経験だったが、多くの善意があって乗り越えられたから」。施設に寄せられた声援の手紙。当時、施設内に張り出され、職員を励ました(施設提供)※写真は一部加工しています