【センバツ】「後輩の頑張り伝わった」3期生主将、視力低下の病気患う坂本さん

後輩たちの甲子園初戦の模様をラジオで聞く坂本光慈さん=22日10時10分ごろ、洋野町内
後輩たちの甲子園初戦の模様をラジオで聞く坂本光慈さん=22日10時10分ごろ、洋野町内
アルプススタンドに陣取った八戸西野球部OBの中に、本来はいるはずの3期生主将、坂本光慈さん(59)=八戸市=の姿はなかった。40代前半から両目の視力が低下し続ける目の病気を患った。すでに視界の中央ははっきりと見えず、一層の視力低下が避けられ.....
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 アルプススタンドに陣取った八戸西野球部OBの中に、本来はいるはずの3期生主将、坂本光慈さん(59)=八戸市=の姿はなかった。40代前半から両目の視力が低下し続ける目の病気を患った。すでに視界の中央ははっきりと見えず、一層の視力低下が避けられない状態だけに、母校の甲子園出場が決まると「目が見えるうちに」と現地観戦を決断し、21日に合わせて甲子園入りしたが、まさかの雨天順延。仕事の都合で観戦を断念し、22日は洋野町内での仕事中、ラジオで試合を楽しんだ。「後輩の頑張りは伝わってきた。拍手を送りたい」―。[br][br] 高校時代は、投打の柱だった八戸西の助川清隆前監督とバッテリーを組み、2、3年時の1978、79年は夏の青森大会で2年連続の準優勝。歴代OBの中では春夏を通じて最も甲子園に近づいた世代だ。「甲子園出場の夢がかなわず、悔しくて大粒の涙を流したことを覚えている」[br][br] 高校卒業後は八戸信金(現・青い森信金)に就職し、野球を続けながら、助川前監督とともに、母校の指導にも携わった。青森県代表として国体にも出場するなど、順風満帆の生活を送っていたが、43歳頃から両目の視力が低下。「大好きな野球の指導や観戦もできなくなった」。現在は外出時などは付き添いが必要な状態という。[br][br] 今回のセンバツは高校時代の仲間らに付き添われ、アルプスで後輩の活躍を見守るはずだった。「選手の動きはぼんやりとしか見えないが、雰囲気を感じたい」。その一念だったが、初戦が一日順延となったことで、仕事の都合もあって即日帰郷を余儀なくされた。「雨が降る中、アルプスから眺めたグラウンド。高校時代にあそこに立ってみたかったなぁ」[br][br] 自身が抱き、かなえられなかった「夢」は40年以上の時を経て22日、後輩たちが実現した。「負けたけれど、後輩が甲子園で野球を楽しんでいたのは分かった。野球の面白さをあらためて感じさせてもらった」と感慨深そうに話していた。後輩たちの甲子園初戦の模様をラジオで聞く坂本光慈さん=22日10時10分ごろ、洋野町内