時評(3月21日)

今年1月から8回にわたって、毎週月曜日の本紙くらし面で、伝統工芸・南部菱刺しの今とこれからを見詰める「北国に咲く菱の花」を連載した。江戸時代の農民が防寒のため手作業で布の目を刺しゅうで埋めたことから始まり、200年以上の伝統を持つとされる。.....
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 今年1月から8回にわたって、毎週月曜日の本紙くらし面で、伝統工芸・南部菱刺しの今とこれからを見詰める「北国に咲く菱の花」を連載した。江戸時代の農民が防寒のため手作業で布の目を刺しゅうで埋めたことから始まり、200年以上の伝統を持つとされる。現在は青森県伝統工芸士など菱刺し作家たちが地道な活動で伝承を続けているが、これを支援しながら地域ぐるみで伝統を守る方策を模索していきたい。[br][br] 風を通す麻を身に着けるしかなかった農民たちが、防寒や補強のため、重ねた布を糸で縫い合わせて「つづれ刺し」が生まれ、さらに菱刺しに発展。津軽地方でも同様に「こぎん刺し」が誕生したが、奇数目で刺すこぎん刺しに対し、南部菱刺しは偶数目で刺すため、横長の菱になるのが特色だ。[br][br] 「似ている」と言われるこぎん刺しと南部菱刺しだが、商業化の点ではこぎん刺しがリードしており、知名度も高い。企業形態で製作、販売するシステムが確立されていることで、内職の刺し手も多く生まれている。デザイナーが関わって、野辺地町出身のサッカー柴崎岳選手のスパイクや宿泊施設とコラボするなど、さまざまな仕掛けも展開している。[br][br] 一方の南部菱刺しでも、アパレルブランドとのコラボや現代のファッションになじむデザインを模索する動きもあるが、作家個々の活動が中心となっている。有識者からの指摘があるように、作家が情報共有し、横断的に連携できるような体制があっても良いのではないか。地域の伝統工芸保護のために、行政が、組織づくりや活動をサポートできる人材の紹介などで後押しできれば動きやすいだろう。[br][br] 昭和初期に始まった民芸運動では、日常生活の手仕事の中に「用の美」が見いだされた。かつて農民が防寒のため刺した菱刺しは、美術館での鑑賞に堪える作品として評価されるようになり、八戸市美術館や十和田市現代美術館でも展示されたことがある。近年は青森県民手帳や青森銀行の通帳の表紙にもこぎん刺しと共に採用されており、手帳はすぐに売り切れる人気ぶりだ。11月開館予定の八戸市新美術館でも、地域の伝統工芸の魅力を市民に広く伝えられるような企画を検討してほしい。[br][br] 講座や展示会を開くなど、作家はそれぞれに地道な活動を続けている。これに、教育現場での普及、行政や市民団体などによる仕掛けなどを絡め、地域が一体となって菱刺しを次の時代に伝承できる形を見つけたい。