ヒラメ稚魚放流に心血注ぐ 技術確立した福田さん退職へ

稚魚の餌となるプランクトンを手に、稚魚放流に尽力してきた30年を振り返る福田慎作さん=1日、階上町
稚魚の餌となるプランクトンを手に、稚魚放流に尽力してきた30年を振り返る福田慎作さん=1日、階上町
栽培漁業に取り組む青森県栽培漁業振興会(階上町)で約30年間、ヒラメやアブラメの稚魚を育て放流してきた専門員の福田慎作さん(65)が3月末で退職する。ヒラメの稚魚大量安定生産技術を全国に先駆け開発。県を同魚種の漁獲量日本一に押し上げた立役者.....
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 栽培漁業に取り組む青森県栽培漁業振興会(階上町)で約30年間、ヒラメやアブラメの稚魚を育て放流してきた専門員の福田慎作さん(65)が3月末で退職する。ヒラメの稚魚大量安定生産技術を全国に先駆け開発。県を同魚種の漁獲量日本一に押し上げた立役者は、2011年度の民間部門農林水産研究開発功績者表彰で農林水産大臣賞を受賞した。輝かしい功績の一方で、未知の技術確立に情熱を注いだこれまでの歩みは、細菌やウイルスとの闘いでもあった。[br][br] 福田さんは佐井村出身。青森市内の高校を卒業後、県庁に入り、県水産総合研究所(平内町)でヒラメやアワビの種苗生産の試験調査などを担当した。[br][br] 当時、県のヒラメ漁獲量は1976年の約1500トンをピークに漸減。89年には200トン余りまで落ち込んでいた。ヒラメ資源を復活させたいと、90年に県栽培漁業振興会に身を転じた。[br][br] 親魚から卵を取り出し、3~4カ月間育てる作業は「自分の子どもを育てるよりも難しい」という福田さん。同年に稚魚約200万匹の放流を成功させると、徐々に漁獲量は回復した。93年には約500トンとなり全国1位に輝き、2000年には過去最高の1800トンを記録した。[br][br] 順調に見えた稚魚放流だったが、思わぬ壁にぶつかった。04年に稚魚の餌となるプランクトンのワムシがうまく増殖しない上、稚魚が大量死する問題が発生した。この年はわずか50万匹ほどしか放流できず、漁獲量は激減した。[br][br] 原因は何だ―。福田さんら所員はワムシが細菌に侵されたと推定。医薬品を用いて解決を目指したが改善せず、思い切って宮古市から新たにプランクトンを導入した。荒治療は功を奏し、翌05年には危機を脱した。[br][br] 再び試練が訪れたのは10年後の14年。ヒラメなどに感染するアクアレオウイルスが全国的に流行し、同振興会の施設でも稚魚が大量死した。福田さんらは卵の殺菌を実施。若干の回復は見せたものの、以前の水準には戻せなかった。[br][br] 魚の目線で、魚に優しい飼育の仕方を―。迷ったとき、答えはいつも現場にあった。たどり着いたのは、水槽内の稚魚数を減らして「密」を避け、ウイルスを死滅させるため海水に紫外線を当てる方法だった。効果はてきめんで、16年には資源が戻り始めた。[br][br] 福田さんが中心となって確立した稚魚栽培の技術は、今や全国各地に広まり、高い評価を得る。福田さんは退職後の4月から、八戸や三沢の魚市場で、放流した稚魚の調査員として働く予定だ。「自分が手塩に育てた魚たちとまた向き合える。こんなにうれしいことはない」。父親のような優しいまなざしで、これからも“古里”の海を見つめ続ける。稚魚の餌となるプランクトンを手に、稚魚放流に尽力してきた30年を振り返る福田慎作さん=1日、階上町