【刻む記憶~東日本大震災10年】野田村ルポ「悲しみは今も胸に」

東日本大震災の津波で、倒壊した住宅で埋め尽くされた宇部川。現在は静かなせせらぎの音が響く=2月23日、野田村
東日本大震災の津波で、倒壊した住宅で埋め尽くされた宇部川。現在は静かなせせらぎの音が響く=2月23日、野田村
防潮堤を乗り越え、街を襲った東日本大震災の大津波は、小さな漁村に大きな爪痕を残した。野田村では37人の尊い命が失われ、全世帯の3分の1に当たる515棟が被害を受けた。人々は村を後にしたり、高台へ移り住んだりするなど、これまでとは違う生活を余.....
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防潮堤を乗り越え、街を襲った東日本大震災の大津波は、小さな漁村に大きな爪痕を残した。野田村では37人の尊い命が失われ、全世帯の3分の1に当たる515棟が被害を受けた。人々は村を後にしたり、高台へ移り住んだりするなど、これまでとは違う生活を余儀なくされた。あれから10年、それでも共に前を向いてきた。悲しみを今も胸に抱き、震災の記憶を紡いでいる。[br][br] 震災発生から2日後の2011年3月13日、記者が国道から村中心部に向かう通りに入ると、津波が到来したとみられる泥水でできた線がくっきりと住宅や店舗の壁に刻まれていた。ただならぬ雰囲気を感じつつ、中心部を流れる宇部川に差し掛かると、がれきと化した住宅で川が埋め尽くされる想像を絶する世界があった。[br][br] 先へ進むと、なぎ倒された防潮林、土台だけが残された住宅地が次々と目に飛び込み、泣きながら家族を捜す女性の姿もあった。あの日の光景は今も忘れることはできず、この季節になると、胸を締め付けられるような思いに駆られる。[br][br] 今年2月下旬、発生から10年を迎えるのを前に村を訪ねた。当時、宇部川の状況を撮影させてもらった丸山酒店へ行くと、店主の沢里ミエさん(90)が出迎えてくれた。「同じ場所からもう一度、写真を撮らせてほしい」と頼むと、「当時もそんな人が来たような…」と記憶をたどっていた。[br][br] 沢里さんは地震発生後、歩いて高台にある愛宕神社へ避難。店舗1階部分が浸水したが、損壊には至らず、現在も同じ店舗で営業を続けている。ただ、店舗はがれきで埋まった川の目の前にあり、村役場に向かう通りとともに被災の境目となった。「家族や自宅を失った人と、まったく被害がない人とで大きな溝ができたよう。実際、自分もどう声を掛けていいのか分からなかった」と話した。[br][br] 中心部を歩いていると、村のシンボルでもある愛宕神社の鳥居近くを散歩する男性(82)と会った。津波で流失した自宅付近の様子を見に、現在生活を送る高台から週1回は訪れているという。[br][br] 男性は「津波が来る前の村の様子はだんだんとおぼろげになってきたが、自分の家がなくなった光景は忘れられない」とつぶやく。「当時、『大変だったね』と言われ、気を使われることが嫌だった。今では村の人たちの優しさだと気付けた」と笑顔を見せた。[br][br] 村を見渡せる高台に立てられた大津波記念碑では、同村在住の男性(70代)が記念碑に置かれた鐘を鳴らしていた。男性は「津波で亡くなった友達が今月誕生日だったから。それを思い出してここに来たんだよ」と話した後、手を合わせて祈りをささげた。[br][br] 「旅行好きなやつで、あの年も一緒に行こうと話していた」と遠くを見詰める。「息子も結婚して、孫も生まれた。そんな話もしたかなったな。悲しみは10年たっても変わらないものだね」。それぞれがあの日と向き合い、力強く生きている。東日本大震災の津波で、倒壊した住宅で埋め尽くされた宇部川。現在は静かなせせらぎの音が響く=2月23日、野田村