福島第1原発事故から間もなく丸10年を迎える中、東京電力で看過できない問題が相次いで発覚した。柏崎刈羽原発(新潟県)の所員が他人のIDカードを使って中央制御室に不正入室し、福島第1の3号機では故障した地震計を昨年から放置していたという。[br][br] 自覚の欠如と言う他ない。一方で不正入室を巡っては、東電から報告を受けた原子力規制委員会の事務方が事態を過小に捉え、重大なルール違反の存在を委員に伝えていなかった。慢心が事故の風化を助長し、新たな危機を招きはしまいか。原子力に関わる全ての関係者がいま一度、厳に襟を正すべきだろう。[br][br] 福島の教訓とは何だったのか。政府が「世界一厳しい」と喧伝(けんでん)する規制基準の強化は一面的なものにすぎない。新設された重大事故対策などが安全性向上に資することを否定しないが、省みるべきは利活用という政策領域にとどまらないはずだ。[br][br] ならばこの間、原子力の「川下」を取り巻く課題解決に前進は見られたのか。日本原燃の使用済み核燃料再処理工場(六ケ所村)が中核を担う核燃料サイクルに焦点を当てると、むしろ見通しの厳しさが浮き彫りとなる。[br][br] 原燃が工場の審査合格までに費やした6年半で、高速炉開発は原型炉もんじゅ(福井県)の廃炉によって後退。代わりに原発でプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)を消費するプルサーマル計画についても、電気事業連合会は16~18基で導入するとした目標を「2030年度までに12基」と事実上、下方修正に迫られた。[br][br] 加えて、導入する原発基数を明示した最新のプルトニウム利用計画で、東電は「福島第1の3号機を含む3~4基」としていた従来の方針を撤回。大手電力で最多の13・7トンのプルトニウムを保有しながら、個別の原発名や基数すら示せなかった。[br][br] かつて資源の有効活用とうたわれたサイクルの大義は、消費に軸足を移してもなお脆弱(ぜいじゃく)さを露呈する。プルトニウムの大量保有に国際的な懸念を持たれかねない中、前進も後退も、容易ならざる窮地に陥っている。[br][br] 今なお原発再稼働に向けた世論の不信感は根強い。依然として信頼回復という入り口にとどまるのは、国民的な合意形成が果たされないまま善後策を重ねた結果だろう。そうしたつけを青森県が背負うことにはならないか。10年という歳月は、事故の被災者はおろか、原子力政策にとっても何の区切りでもないことを肝に銘じたい。