東日本大震災で新幹線に取り残された乗客救済の役目を終えた、JR東日本盛岡支社営業部長の森崎鉄郎さん(44)は、息つく暇もなく、在来線の運転再開の検討などに駆け回りながら、最大の懸案事項に頭を悩ませていた。2011年4月23日から予定する大型観光キャンペーン「青森デスティネーションキャンペーン(DC)」の開催可否だ。[br][br] 新幹線が復旧していない今、乗客をどうやって運ぶのか。大津波が押し寄せた沿岸部の在来線は被害の全容すらつかめていない。キャンペーンに対する理解を得られるかも不透明に思えた。「恐らく主催の青森県側は開催するとは言わないだろう」。[br][br] 3月17日、青森県の観光局長と観光連盟から面会したいと連絡があった。「ついに来たか」。森崎さんは腹をくくった。すぐに支社長や本社営業部と相談し、華美な宣伝や演出は控え、「東北の復興に資する」形で開催を提案する方針を決めたが、心の迷いは晴れていなかった。[br][br] ◇ ◇ ◇[br] 盛岡支社で県との打ち合わせが行われたのは、東北新幹線盛岡―新青森間が運転再開した次の日の23日だった。その内容は予想していたものではなかった。[br][br] 県側からもたらされたのは、「東北全体が復興へ進む第一歩」として青森DCを実施したいという提案だった。図らずも考えは一致した。28日には三村申吾知事から直接意向を聞き、再スタートを切った。[br][br] そのさなかだった。4月7日深夜、震災の最大の余震が襲い、東北新幹線一ノ関―新青森間が不通になった。本震で被害を受けた1200カ所のうち、復旧は90カ所を残すのみとなっていたが、新たに約550カ所で対応が必要になった。青森DCに向けて、4月末を目指していた新幹線の全線運転再開の遅れは必至の情勢だった。森崎さんの心は折れかけていた。[br][br] ◇ ◇ ◇[br] 「もう1回やり直すぞ」。気持ちをつないだのは、翌朝に支社で聞いた、設備関係の復旧に携わる社員の気合を入れ直す声だった。「何としてもやってやろう」。覚悟は決まった。[br][br] 県と協力して、福島第一原発事故に苦しむ福島県など東北地方のほかの5県に協力を呼び掛け、青森DCは東北全体のキャンペーンとなった。23日にスタートすると期間中の29日には暫定ダイヤながら東京ともつながり、各駅で沿線住民らが復興の願いを乗せた列車を迎えた。[br][br] キャンペーンは当初の予定通り3カ月間行われ、青森県内の観光地への入込数は260万人余りに上った。「もしあの時、青森DCを中止していたら、青森をはじめ、東北全体の観光復興は大きく遅れていた」と森崎さんは述懐する。[br](年齢、肩書は当時)