天鐘(1月30日)

独国の技師オットー・リリエンタールは、鳥の翼そっくりのグライダーを背負い、空を飛ぼうと試みた。小高い丘から飛行に挑戦したが、1896年に墜落死。この“鳥人間”の挑戦が後の飛行機の開発に繋(つな)がった▼蒸気機関車や蒸気船の時代だったが、科学.....
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 独国の技師オットー・リリエンタールは、鳥の翼そっくりのグライダーを背負い、空を飛ぼうと試みた。小高い丘から飛行に挑戦したが、1896年に墜落死。この“鳥人間”の挑戦が後の飛行機の開発に繋(つな)がった▼蒸気機関車や蒸気船の時代だったが、科学者らは「空気より重い機械が空を飛ぶって」と一笑。だが、彼は嘲笑を聞き流し、黙々と2千回超の飛行実験を繰り返した▼最長250メートルを記録した後の飛行で墜落。「犠牲は払われなければならない」の言葉を残して死んだ。この挑戦に触発されたのが米国のライト兄弟。7年後の1903年、12馬力のエンジンで有人飛行に成功した▼逆風の中を重力に逆らって人間が操る「重い機械」が260メートル、約1分間にわたり空を飛んだ。兄弟が着実に積み重ねた技術工学の研究成果で、人類が長年抱いてきた“鳥人間”への夢が実現した瞬間だった▼“よちよち歩き”が6年後に英仏海峡横断。7年後に日本で徳川好敏大佐が初飛行。12年後に八戸で航空ショーと進歩を遂げる。背景は第1次、第2次世界大戦。拳銃の空中戦から機関銃、さらには原爆の投下へ▼初飛行から42年後のことだ。それが今や宇宙戦争の時代。弟オーヴィルは48年の今日、飛行機がもたらした破壊を嘆き、76歳で死去した。そう言えばノーベルもアインシュタインも…。科学と政治は使いようで天国も地獄も描き出す。