「教育の父」加藤源三の教え脈々と/十和田・藤坂小学区

追慕の式で「加藤訓」をテーマに劇を披露する児童=昨年12月(藤坂小提供)
追慕の式で「加藤訓」をテーマに劇を披露する児童=昨年12月(藤坂小提供)
十和田市内で特に教育が盛んな地域といわれる市立藤坂小学区。礎を築いたのが初代校長の加藤源三(1867~1943年)で、当時の旧藤坂村は青森県内でも教育の先進地とされた。源三の教えは「加藤訓」として同校に残っており、命日の日(12月6日)には.....
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 十和田市内で特に教育が盛んな地域といわれる市立藤坂小学区。礎を築いたのが初代校長の加藤源三(1867~1943年)で、当時の旧藤坂村は青森県内でも教育の先進地とされた。源三の教えは「加藤訓」として同校に残っており、命日の日(12月6日)には毎年、追慕の式を開き、児童らが胸に刻んでいる。教育だけでなく産業振興などにも尽力した源三の功績は今も脈々と地域に受け継がれている。[br][br] 源三は現在の中泊町の生まれ。生家は地域の子どもたちに手習いを教える地主で、多くの書籍に囲まれて少年時代を過ごした。[br][br] 1885年、青森師範学校を卒業後、間もなく相坂小(後の藤坂小)に赴任。99年に藤坂小の初代校長に就任した。「誠・愛・熱」を信条とした献身的な教育姿勢で、地元住民の信望を集めた。[br][br] 戦後初の県選出大臣となった苫米地義三(1880~1959年)ら、多くの人材を育て、読書を通じた全村教育にも力を入れたほか、村の政治や経済、産業振興にも広く携わった。[br][br] 加藤訓の「志は高きこと八甲田山の如く 心は清きこと奥入瀬川の如く 気宇広きこと三本木平の如く」は教え子を励ました言葉。源三は赴任以降、ずっと藤坂にとどまり、現在も同校近くの墓に眠っている。 藤坂学区教育振興会が刊行した「学恩の人・加藤源三先生と藤坂教育」によると、源三の命日を「追慕の日」とする同校の記念行事は、1960年から始まった。現在も6年生が源三について調べた内容を、劇にして下級生に伝えている。昨年12月には、6年生23人が加藤訓をテーマに劇を披露し、墓参りもした。[br][br] 6年の和田広久君(12)は加藤訓を胸に刻み、「失敗してもくよくよせず、心を広く持ちたい」、小山田玲良さん(12)は「将来の夢に向かって志を高く持ち続けたい」と、それぞれ決意を新たにした様子だ。[br][br] 同校にとって追慕の式は、入学式や卒業式と並ぶ節目の行事。同校出身で、校長も務めた市の丸井英子教育長は「これほど初代校長に思いを寄せ、感謝している学区はほかにない。これからも地域の人々に大切にされていくだろう」と改めて敬意を示した。追慕の式で「加藤訓」をテーマに劇を披露する児童=昨年12月(藤坂小提供)