天鐘(1月1日)

暦をめくって新しい年の空気に触れる。けれども昨年から流れる時間に区切りがあるわけではない。不思議な感覚の中で浮かぶ俳句がある。〈去年(こぞ)今年貫く棒の如(ごと)きもの〉▼高浜虚子の名句だが、テーマが大きく、難解との評価もある。年をまたいで.....
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 暦をめくって新しい年の空気に触れる。けれども昨年から流れる時間に区切りがあるわけではない。不思議な感覚の中で浮かぶ俳句がある。〈去年(こぞ)今年貫く棒の如(ごと)きもの〉▼高浜虚子の名句だが、テーマが大きく、難解との評価もある。年をまたいで「貫く棒」とは何なのか。自然の理(ことわり)、本人の意志、変わらぬ日常…と、さまざまに説がある。それは読む者の立場や心境によって違うのかもしれない▼大雪の元旦になった。積もった雪に、昨年から続く厄災を全て覆い隠してほしい年の初めである。願いに反して、疫病はさらなる大波となって越年。単純に「おめでとう」とも言いにくい正月だ▼去年を振り返れば、確かにつらかった。ただ、その苦しさの中で忘れかけていた大事なものを思い出したような気もする。医療従事者に送られた感謝の拍手があった。高校球児の涙に、何とか寄り添おうとした大人たちもいた▼改めて皆が家族を思い、友との絆を確かめた。そうした人の優しさや思いやりこそ、どんな年だろうと、どんな時代だろうと、変わってはいけない「貫く棒の如きもの」ではないかと勝手に思う▼昨夜の紅白歌合戦。久々に家族だけで聞きながら、小さなエールをもらったという人もいるかもしれない。昨年の“辛(つら)”かった思いに、今年はぜひ、横に1本、「貫く棒」を。“幸”せな年になりますように。おめでとうございます。