【ここに決めた 移住人】原田さん、「海のまち」に引かれ八戸へ

2018年に八戸市へ移住し、旭光通信システム八戸事業所で働く原田真さん=八戸市、12月下旬
2018年に八戸市へ移住し、旭光通信システム八戸事業所で働く原田真さん=八戸市、12月下旬
生まれも育ちも大都会。海外生活も経験したが、自然環境と都市機能が共存した「海のまち」での日々が一番気に入っている。東京都世田谷区出身の原田真さん(48)は、2018年4月から八戸市で暮らす。製造工場で働きながら、休日は家族そろってどこかに出.....
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 生まれも育ちも大都会。海外生活も経験したが、自然環境と都市機能が共存した「海のまち」での日々が一番気に入っている。東京都世田谷区出身の原田真さん(48)は、2018年4月から八戸市で暮らす。製造工場で働きながら、休日は家族そろってどこかに出掛けるのが原田家の“ルール”だ。学生時代からさまざまなまちに移り住み、そしてたどり着いた八戸でマイホームを構えた。「自分のようなサラリーマンが移住しても、暮らしていけるのがここの魅力かな」。最後の移住地と決めた八戸で人生を満喫している。[br][br] 原田さんと青森県のつながりは大学時代にさかのぼる。都内の高校を卒業後、「遠くで暮らしたい」と地方への進学を志望。山形県出身の両親が許可してくれたのが東北地方で、「それなら一番離れた青森に行ってみよう」と青森大へ進んだ。[br][br] 高校生の時にはボランティア留学を経験し、イタリアのサルデーニャ島で過ごしたことも。「子どもの頃から自然の中で遊ぶのが好き。サルデーニャや青森のように、海も山もあるまちに住みたい」と“地方志向”は高まっていった。[br][br]  □      □[br][br] 大学卒業後は十和田市内の企業に就職し、その後に東京の営業所へ転勤になった。久々の都会生活。大学時代に知り合った青森市出身の妻と結婚もしたが、「やっぱり東京の暮らしは窮屈だった」。数年後に退職し、30歳の時に夫婦で新潟県佐渡市に移住した。[br][br] 雄大で独特な自然が色濃く残る佐渡島。原田さんは携帯電話のパーツを作る工場で働き、そこでの暮らしは10年近くに及んだ。[br][br] だが転機が訪れ、11年に再び東京へ。全国を飛び回る営業職に就いた。「さまざまな場所に行って実感したのは東北の良さ。東北の人とは馬が合う」。年齢的にも最後の転職と決めて東北各地から移住先を探し、「海があって経済も元気」と感じた八戸を選んだ。[br][br]  □      □[br][br] 八戸に移住した18年4月からは、鉄道や高速道路の通信機器を製造する旭光通信システム(川崎市)の八戸事業所で働く。佐渡の工場勤務で得たノウハウも生かし、生産管理の現場で自分の仕事に熱中している。[br][br] 週末の休日は家族団らんのひととき。妻、中学3年の長男、中1の長女と車で出掛けるのが楽しみだ。八戸えんぶりや八戸三社大祭といった地元の祭りはもちろん、北東北各地のイベントに足を運ぶ。今年は新型コロナウイルスの影響で大半の催しが中止になり、「早く前のような日々が戻ってほしい」と強く願う。[br][br] 今春、家族4人で住むマイホームを購入した。「都会から来たサラリーマンでも、以前と変わらない生活を送れるのが八戸。ここでずっと暮らしたい。初めて家が欲しいと思った」。妻や子どもたちも、今の生活に満足していることが何よりもうれしい。いつかコロナ禍が落ち着けば、両親も八戸に招待するつもりだ。2018年に八戸市へ移住し、旭光通信システム八戸事業所で働く原田真さん=八戸市、12月下旬