天鐘(11月26日)

六尺(約2メートル)ほどの角棒で殴られ続け、ついには失神してしまった。尻はむらさき色のキャベツのように腫(は)れ上がった。骨も肉も苦痛に疼(うず)き、体を動かせない。口惜(くちお)しいことだが、銃殺刑を免れただけ儲(もう)けものである▼旧名.....
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 六尺(約2メートル)ほどの角棒で殴られ続け、ついには失神してしまった。尻はむらさき色のキャベツのように腫(は)れ上がった。骨も肉も苦痛に疼(うず)き、体を動かせない。口惜(くちお)しいことだが、銃殺刑を免れただけ儲(もう)けものである▼旧名久井村(現南部町)出身で東京日日新聞(現毎日新聞)の特派員を経て翻訳家になり、日本翻訳家協会長を歴任した佐藤亮一さんの著書『北京収容所』の抜粋だ▼1939(昭和14)年に中国特派員として従軍取材。北京で終戦を迎えたが、熱病で入院中、国民党政府に共産党の資料を所持していたと不当逮捕された。収容1年5カ月、命と引き換えに書き綴(つづ)った日記である▼46年8月2日「最悪の日」。佐藤さんが皆の声を纏(まと)めて書いた塩などの差し入れを求める紙片が見つかった。「銃殺に処すべきところ死一等を減じ笞刑(ちけい)50回」。4度目の焼きごてのような痛打で意識を失った▼綴られた英文混じりの克明なメモ。監視の目を盗み紙縒(こより)にして中国服に縫い込み、持ち帰った。終戦後3年で収容者67人中24人が処刑された。今日はペンの日。この“命懸けの日記”を思い出さずにはいられない▼人類史は戦争という愚行の繰り返しで、その都度もの言えぬ閉塞(へいそく)の時代をペンが切り開いてきた。だが今や「SNSは剣よりも強し」とか。ペンが憎悪のはけ口と化せばそれに勝る恐怖はない。戦時下にもましてゆゆしき時代だ。