城正面に土橋と石垣/九戸城跡 城主の権威示す証しか

発掘調査で見つかった石垣(手前)と土橋。土橋の両側に石垣が築かれたとみられる=21日、二戸市
発掘調査で見つかった石垣(手前)と土橋。土橋の両側に石垣が築かれたとみられる=21日、二戸市
二戸市教委は21日、国史跡「九戸城跡」について、城の正面に当たる二の丸大手で新たに土橋と石垣が見つかったと明らかにした。九戸一揆で戦国武将・九戸政実が豊臣軍に敗れ、落城した1591(天正19)年に豊臣側によって築かれた「福岡城」時代のものと.....
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 二戸市教委は21日、国史跡「九戸城跡」について、城の正面に当たる二の丸大手で新たに土橋と石垣が見つかったと明らかにした。九戸一揆で戦国武将・九戸政実が豊臣軍に敗れ、落城した1591(天正19)年に豊臣側によって築かれた「福岡城」時代のものと推定される。当時、北東北にはなかった石垣を有した城として、城主の権威を示す意味合いがあったとみられ、市教委文化財課は「九戸城が『見せる城』として入念に築かれたと評価できる」としている。[br][br] 同城跡の環境整備に伴う本年度の調査で発見された。福岡城は九戸一揆後、北東北で最初の石垣を持つ城郭として再普請され、2週間程度の短期間で構築されたという。[br][br] 土橋は全長約25メートル、幅約5メートルで、二の丸大手と武家屋敷の「在府小路」をつなぐ、城内と城外の境に位置する。石垣は土橋東側で見つかり、全長8・72メートル以上、高さ1・23メートル以上と推定される。同城本丸の石垣構築手法と似ており、自然石をそのまま用いた野面(のづら)積づみの技法が用いられ、石材は安山岩を主体に凝灰(ぎょうかい)岩が混じっている。[br][br] また、土橋西側からも石垣の背面に積まれる栗石(ぐりいし)が見つかり、両側に石垣が築かれたとみられる。[br][br] 現存する幕末ごろに作成された絵図には二の丸大手に石垣が描かれていたものの、その存在が確認されたのは初めて。市教委文化財課の柴田知二主査は「これまで幻だった石垣が見つかった。当時の最新技術で構築されて見た人に大きなインパクトを与えたのではないか」と述べた。[br][br] 市教委は25日午後1時半から、同城跡で現地説明会を開く。申し込みは不要。問い合わせは市教委文化財課=電話0195(23)8020=へ。発掘調査で見つかった石垣(手前)と土橋。土橋の両側に石垣が築かれたとみられる=21日、二戸市