防災林に先人の努力 植樹の労苦、命の大切さ訴え/元教員の川村さん(三沢)

大きくなってきたマツを示しながら児童に管理の必要性を語る川村正さん(右奥)=10月上旬、三沢市
大きくなってきたマツを示しながら児童に管理の必要性を語る川村正さん(右奥)=10月上旬、三沢市
東日本大震災で津波の威力を弱めるなど大きな役割を果たし、重要性が改めて認識された海岸防災林。青森県沿岸部の防災林整備の陰には多くの人の努力があり、三沢市塩釜地区出身の元県職員石橋健二さん(1907~90年)は事業に生涯をささげた一人として知.....
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 東日本大震災で津波の威力を弱めるなど大きな役割を果たし、重要性が改めて認識された海岸防災林。青森県沿岸部の防災林整備の陰には多くの人の努力があり、三沢市塩釜地区出身の元県職員石橋健二さん(1907~90年)は事業に生涯をささげた一人として知られる。同市の元教員川村正さん(73)は2012年から毎年、市立おおぞら小の依頼を受け、学校に近い海岸の松林の役割、植樹に携わった石橋さんの労苦を児童に教える。地元のために尽力した先人の偉大さを伝え、命と財産を守る松林の大切さを説き続ける。[br][br] 石橋さんは同校の前身校の一つ、織笠小を卒業。1933年、三沢海岸での県営海岸砂防林造成事業に参加し、作業員のまとめ役を務めた。卓越した技術が認められ、43年に県林務課の職員に。67年に退職するまで県内各地の砂防林の造成や維持に努めたほか、海岸防災林事業の生き字引として後進に影響を与えた。[br][br] 33年以降の同海岸での砂防林造成は、松を定着させるのが困難な砂地への植樹が求められた。石橋さんたちは、津軽藩主に日本海側の砂丘地帯への植林を命じられた野呂理左衛門らの工法を改良。苗木を植える穴に粘土を入れた上に黒土や魚かすを施し、根元に稲わらを敷いて乾燥を防ぎ、支柱で補強。防風垣と板で潮風や砂から守り、定着を図った。[br][br] 川村さんは、かつて市内の小学校の社会科副読本の編集に携わった。震災を機に、児童が津波被害を軽減させる松林について学べるよう講師を引き受けてほしい―との同校からの依頼を快諾。松林の歴史や役割ばかりでなく、児童の先輩に当たる石橋さんの努力を伝えようと内容を企画した。[br][br] 「自分の地元で、人の命を守るために一生懸命活動した。すごい人がいたことを知ってほしい」。川村さんは、児童に石橋さんを紹介する意義を語る。[br][br] 授業は毎年4年生向けに、校内での学習と松林を歩きながらの観察の2本立てで実施。本年度は10月上旬に行われ14人が参加した。[br][br] 教室では、川村さんが資料を基に、過去の津波災害の概要や事業の成功に向けた石橋さんたちの熱意を紹介。「木が育ったのは石橋さんが毎日見守りを欠かさなかったからだ」と、たゆまぬ努力がたくさんの木を育てたことを強調した。[br][br] 松林では、木が育つには時間がかかることや管理の必要性を説明。「何年も植え続けなければ松林にならない」と述べ、継続することの大切さを訴えた。[br][br] 身近な松林の役割、熱心に木を植えた人がいたこと―。児童にとって授業中は驚きと発見の連続だった。小比類巻漣君(9)は、授業を終えて「松林を大切にしていきたい」と話した。[br][br] 震災の津波で、八戸―三沢間の海岸防災林は134ヘクタールが塩害などの被害を受けたが、再生に向けた苗木約76万本の植樹は昨年度で完了。十分な高さまで成長するには20~30年程度かかる見込みだ。石橋さんたちの努力の成果も目に見える形になるまで長い時間を要した。川村さんは児童に「命を守るために先人が努力してきたことを忘れないで」と願う。大きくなってきたマツを示しながら児童に管理の必要性を語る川村正さん(右奥)=10月上旬、三沢市