天鐘(9月25日)

「広島に投下された原爆100万個に相当するといわれたエネルギー」。当時、名古屋市が制作した記録映画のすさまじいナレーションが、その凄惨(せいさん)さを物語る▼今から61年前の1959年9月26日夕、それまで経験したことのない暴風雨が名古屋港.....
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 「広島に投下された原爆100万個に相当するといわれたエネルギー」。当時、名古屋市が制作した記録映画のすさまじいナレーションが、その凄惨(せいさん)さを物語る▼今から61年前の1959年9月26日夕、それまで経験したことのない暴風雨が名古屋港を襲った。貯木場に積まれた無数の丸太が6メートルに迫る高波に乗って次々に家を砕いていく。電気は止まり、人々は暗闇を逃げ惑った▼時代は高度経済成長のまっただ中。名古屋市の約半分が泥水に漬かり、東海のモノ作りの拠点が一夜で壊滅した。全国の死者・不明者5千人超。阪神大震災が起きるまで戦後最悪の天災だった伊勢湾台風である▼気象台の進路予想は的確で早くに警報が出た。悔やまれたのは行政の未熟な危機管理と市民の薄い防災意識である。情報の途絶も被害を広げた。もし避難が徹底されていれば死者は250人ほどにとどまったとの分析もある▼天変地異のたびに教訓は積まれる。「阪神」では建物の倒壊、「東日本」では津波への備えを胸に刻んだ。だが最後に行き着くところは「自分の命は自分で守る」の心構え。単純にして最大の、天の教えである▼未曽有の災害の後、市民はこぞって電池式の携帯ラジオを買い求めた。精いっぱいの自衛である。今、格段に進歩した予報技術に対して心構えの方はどうか。この時季、南から迫る渦巻きは、いつもそのことを問うている。