天鐘(9月5日)

夜空を見上げればいつもそこにある。それなのに月といえば秋である。空気が乾いて塵(ちり)が少ない。高度が程よく明るさが映える。哀愁も相まって美しさが染みる。冬も条件が近いとはいえ、さすがに月見には寒すぎる▼静寂が響く夜。山々に抱かれた湖に小舟.....
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 夜空を見上げればいつもそこにある。それなのに月といえば秋である。空気が乾いて塵(ちり)が少ない。高度が程よく明るさが映える。哀愁も相まって美しさが染みる。冬も条件が近いとはいえ、さすがに月見には寒すぎる▼静寂が響く夜。山々に抱かれた湖に小舟が漂う。月の鏡がゆらりとにじむ。そんな情景を呼び起こすのは印象的な3連符の分散和音。正式には「ピアノソナタ第14番」だが、やはり「月光」の呼び名が似合う▼ベートーベンが遺した珠玉の作品。静から動、そして激へ。序破急の楽章展開はソナタの常識を覆した。交響曲も先鋭的な個性に満ちる。形式を重んじる古典音楽に感情表現を注ぎ込み、新しい時代を拓いた▼生誕250年の楽聖は、しかめっ面でボサボサ頭の肖像画でおなじみ。驚くほどの癇癪(かんしゃく)持ち。1杯のコーヒーには必ず60粒の豆。部屋を散らかしては手放す引っ越し魔。偉大な功績に劣らず奇人の逸話も数多い▼「ハイリゲンシュタットの遺書」を記したのは31歳の秋。難聴から死を欲するも、音楽に殉じることを誓う。絶望の暗闇を照らす月光のごとき道標に。後の10年は創作に没頭、黄金期は「傑作の森」と称される▼「多くの人々に幸せや喜びを与えること以上に、崇高で素晴らしいものはない」。思いを体現したことは歴史が証明している。格好の芸術の秋である。心を穏やかに名曲の調べに身を委ねたい。