【緩和ケア】ホスピスボランティア団体、施設完成に決意新た 

八戸緩和ケアを考える会に関する新聞記事を見ながら活動を振り返る越後悦子代表。「市民が望むような病棟になれば」と願いを込める=八戸市
八戸緩和ケアを考える会に関する新聞記事を見ながら活動を振り返る越後悦子代表。「市民が望むような病棟になれば」と願いを込める=八戸市
2010年から八戸市立市民病院に緩和ケア病棟の整備を訴え続けてきた同市のホスピスボランティア「八戸緩和ケアを考える会」の越後悦子会長は病棟の完成を喜ぶと共に、この10年で、がんの闘病の末に他界した仲間たちに思いをはせる。引き続き、医療スタッ.....
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2010年から八戸市立市民病院に緩和ケア病棟の整備を訴え続けてきた同市のホスピスボランティア「八戸緩和ケアを考える会」の越後悦子会長は病棟の完成を喜ぶと共に、この10年で、がんの闘病の末に他界した仲間たちに思いをはせる。引き続き、医療スタッフと共に患者に寄り添った活動を展開していく方針で、「亡くなった会員の願いも背負いながら、患者さんはもちろん、家族や医師を支援したい」と決意を新たにしている。[br] 越後会長は40年前、父親を胃がんで亡くした。当時、父には告知することができず、病状や処方した薬について担当医師から詳細な説明がないまま、苦しみながら亡くなった。「最期の姿は父ではなくなってしまった。後悔しかなく、悲しさよりも悔しい気持ちが強かった」と越後さん。「もっと苦しまない治療があったのでは。他にできることはなかったのか」と、ずっと複雑な思いを抱えていた。[br] そんな中、2008年に市立市民病院に緩和医療科が新設されたという新聞記事を読み、初めて「緩和ケア」を知った。「父が生きているうちに知っていれば」と思いが募り、当時、科長を務めていた佐藤智医師から緩和ケアについて話を聞いたり、岩手県内の緩和ケア病棟を見学して先進事例を学んだりと、自分なりに知識を深めた。[br] 「病棟があれば自分のように悲しむ人が少なくなる」。越後会長は、志を同じくする仲間と共に10年4月に同会を設立。定期的に講演会や勉強会を開き、緩和ケアの認知度向上と専門病棟の整備を訴え続けたほか、市内のホスピスで、患者の生活を支えるボランティア活動を展開してきた。[br] ホスピスでは、多くの出会いや別れがあった。病気と闘いながらも最期まで自分らしく生きたいと願う患者を支え、そして見送る中で、悲しみだけではない温かで幸せな気持ちになった。「緩和ケアは『生きる』医療。患者さんの生きる希望であり、家族にとっても生きる原動力になる」と実感している。[br] 活動から10年の間に4人の仲間が亡くなった。もっと早く完成していれば―という思いもあるが、後ろは振り返らない。「新しい病棟が最期の最期まで笑って生きられる場所になれば」と越後会長。今後も、ホスピスボランティアとして同病棟に入院する患者らに寄り添っていくつもりだ。八戸緩和ケアを考える会に関する新聞記事を見ながら活動を振り返る越後悦子代表。「市民が望むような病棟になれば」と願いを込める=八戸市