三浦哲郎さん短篇「非情の海」 石橋さん(八戸)の日記から着想

三浦哲郎さんからの手紙を読み返す石橋カネさん。「敵機を見つけても味方は攻撃できず、これで勝てるのだろうかと思った」と大戦末期を振り返る=八戸市内
三浦哲郎さんからの手紙を読み返す石橋カネさん。「敵機を見つけても味方は攻撃できず、これで勝てるのだろうかと思った」と大戦末期を振り返る=八戸市内
終戦間際の女子挺身隊を描いた、八戸市出身の芥川賞作家三浦哲郎さん(1931~2010年)の短篇「非情の海」(67年発表)が、敵機襲来を監視する防空監視哨で働いた同市の石橋カネさん(96)の日記から着想を得ていたことが、青森県史編さん近現代部.....
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 終戦間際の女子挺身隊を描いた、八戸市出身の芥川賞作家三浦哲郎さん(1931~2010年)の短篇「非情の海」(67年発表)が、敵機襲来を監視する防空監視哨で働いた同市の石橋カネさん(96)の日記から着想を得ていたことが、青森県史編さん近現代部会調査研究員も務めた元教員小泉敦さん(60)=五戸町=の調査で分かった。知名度は高くない作品だが、三浦さんは石橋さんに宛てた手紙で「十五歳の周囲」「驢馬(ろば)」と共に「私の戦争三部作にしよう」との思いをつづっていた。小泉さんは「三浦さん自身の戦争の原風景が日記の記述と重なってより具体的に浮かび、小説を書こうとなったのではないか」と指摘する。[br] 「非情の海」は、監視哨で働く少女のとある「軀(からだ)の欠陥」に対する葛藤や、彼女の淡い恋を打ち壊す戦争の悲惨さが描かれている。小泉さんは本紙文化面で昭和史をひもとく「『北』のまなざし」を連載しており、戦時中の日記を残している石橋さんを直接取材。見せてもらった60年1月1日付の5枚に及ぶ三浦さんからの手紙の内容から調査を進め、日記が同作に反映されたことを明らかにした。[br] 三浦さんは手紙で、八戸の地元雑誌「北方春秋」に掲載された日記を読んだことや、同じく八戸で終戦を迎えた者としての共感をつづり、雑誌の編集者を通じて借用した日記の原本が手元に届いたことを伝えた。元々、戦時中の少女をテーマにした作品を構想していたものの、取材でありきたりな話しか聞けず、「無理かも知れないとあきらめていた」ところ、日記を読んで「すぐさま、これだ」と思い付いたようで、監視哨に勤務する少女を主人公にしたい考えを示している。[br] 三浦さんは5月に日記を返却して間もなく上京し、夏に執筆した「忍ぶ川」で芥川賞を受賞。作家として脚光を浴びた。環境の変化もあってか「非情の海」は発表まで7年を要したが、手紙に「海にうかぶ恋人たち。任務を捨てて海に飛び込む少女」などラストの描写まで記しており、原本借用の段階で既に、大まかなストーリーが浮かんでいた様子がうかがえる。[br] 全体の流れは創作だが、19歳の同僚があることで笑われたという数行の記述が主人公の重要な設定に生かされ、潜水艦とみられる敵影を発見したくだりなども作中に登場する。石橋さんは「読んですぐ、これが日記を踏まえた作品だと分かった。一つの小さいヒントを膨らませて小説にしていてすごい」と、作家の創作力に感心していた。三浦哲郎さんからの手紙を読み返す石橋カネさん。「敵機を見つけても味方は攻撃できず、これで勝てるのだろうかと思った」と大戦末期を振り返る=八戸市内