【連載・虚しき報せ】(1)忘れられた人 三沢出身軍人、情報操作担う

大本営海軍報道部課長として大本営発表に携わった平出英夫(平出修一さん提供)
大本営海軍報道部課長として大本営発表に携わった平出英夫(平出修一さん提供)
2019年8月、東京都内で、とある演劇が上演された。小劇団・アガリスクエンターテイメントによる「発表せよ!大本営!」というコメディーである。 舞台はアジア太平洋戦争(太平洋戦争)下の大本営海軍報道部。大本営発表の内容を作成・調整する部署に当.....
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 2019年8月、東京都内で、とある演劇が上演された。小劇団・アガリスクエンターテイメントによる「発表せよ!大本営!」というコメディーである。[br] 舞台はアジア太平洋戦争(太平洋戦争)下の大本営海軍報道部。大本営発表の内容を作成・調整する部署に当たる。日本軍が米軍に大敗を喫したミッドウェー海戦をどのように国民へ伝えるか、部員たちが右往左往するさまを中心に、ドタバタ調でストーリーは展開してゆく。[br] この海軍報道部課長として、「平入(ひらいり)大佐」なる人物が登場する。丸々とした体格に眼鏡、センター分けに整えた髪型で、海軍内部のさまざまな思惑に振り回される役どころだ。「外見や話し方を“本人”に似せていったら、まるでうり二つになっちゃって」。平入役を演じた矢吹ジャンプさんはそう苦笑する。[br] “本人”とは、劇中の軍人が実在の人物の変名で登場していることを意味する。[br] 「平入」のモデルになったのは、三沢市出身の海軍軍人で、実際に課長として大本営発表に携わった、平出英夫(ひらいでひでお)(1896―1948)。戦時中、大本営発表のみならず、多様なメディアでプロパガンダ(情報操作)を展開した人物だ。[br]   ■    ■[br] 大本営発表は、日中戦争と太平洋戦争にまたがる1937(昭和12)年から45年8月までの間、日本軍の最高司令部である大本営が行った戦況発表を指す。発表内容は新聞のほか、当時普及し始めたばかりのラジオ放送を通じて国民に伝えられた。[br] 国家機関による公式発表にもかかわらず、戦後に“虚報”の代名詞となったのは、その内容が余りにもでたらめだったからだ。[br] 例えば、日本軍が太平洋戦争期に沈めたと吹聴した敵方の連合国軍の船舶は戦艦43隻、空母84隻。だが、実際は戦艦4隻、空母11隻だった。戦果を7~10倍に水増しした計算になる。逆に日本軍の損失は、戦艦8隻が3隻、空母19隻が4隻にまで圧縮されている。[br] また、自軍の「撤退」を「転進」、「全滅」を「玉砕」という言葉で美化し、印象操作した点も批判の対象となった。こうした情報の意図的隠蔽(いんぺい)は国民だけでなく、時に昭和天皇ら国家の上層部、軍の作戦自体さえも惑わし、要らざる人命の犠牲を強いた。虚報が国全体をミスリードした、日本メディア史最大の汚点として刻まれている。[br]   ■    ■[br] 中でも、平出の“活躍”は突出していた。大本営発表の歴史について詳しい、近現代史研究者の辻田真佐憲さんは「戦時中は『東條(英機首相)・平出・双葉山(横綱)』というフレーズが生まれたほどの人気者だった」と説明する。[br] ただ、並び称されたほかの2人に比べ、平出の全体像はいまだ謎に包まれている。平出の伝記執筆を考えたこともある辻田さんは「日記や手記がほとんど残っておらず、彼の真意を知ることは難しい」と話す。[br] 中央大商学部の宇田川幸大准教授(日本現代史専攻)も「平出に関する本格的研究は今後の課題」と指摘しつつ、いま平出や大本営発表を振り返る意義をこう強調する。「近年の公文書改ざん問題や、政府の不誠実な答弁姿勢を見て分かるように、大本営発表の兆しはいつでも顔をのぞかせる。国家による再度のミスリードを防ぐため、その歴史を知っておく必要があるのではないか」[br] ……………………[br] 戦後75年の節目に、アジア太平洋戦争下における大本営発表やプロパガンダの実態、それらに関与した平出英夫の生涯をたどる。「フェイクニュース」が氾濫する現代を生きるヒントともなるはずだ。大本営海軍報道部課長として大本営発表に携わった平出英夫(平出修一さん提供)