シベリア抑留死 岩泉さん(大間出身)の遺骨、77年ぶり“帰郷”

岩泉長治さんの遺骨を受け取る、おいの岩泉盛利さん(左)=6日、大間町奥戸
岩泉長治さんの遺骨を受け取る、おいの岩泉盛利さん(左)=6日、大間町奥戸
第2次世界大戦後のシベリア抑留中に死亡し、日本政府派遣の遺骨収集団が収容した遺骨の身元が大奥村(現大間町)出身の岩泉長治さんと分かり、6日に遺族に返還された。1943年に旧日本軍に入営後、77年ぶりの“帰郷”となり、おいの岩泉盛利さん(76.....
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 第2次世界大戦後のシベリア抑留中に死亡し、日本政府派遣の遺骨収集団が収容した遺骨の身元が大奥村(現大間町)出身の岩泉長治さんと分かり、6日に遺族に返還された。1943年に旧日本軍に入営後、77年ぶりの“帰郷”となり、おいの岩泉盛利さん(76)は「長い間ごくろうさんという思い。ゆっくり休ませてあげたい」とねぎらった。[br] 長治さんは22年、漁業を営む竹次郎さん、はるさん夫妻の五男として生まれた。20歳で旧陸軍入り。独立混成第130旅団砲兵隊の伍長として満州地域で警備に従事後、旧ソ連の収容所に送られ、46年6月にイルクーツク州の病院で死亡した。24歳だった。[br] 遺骨収集団は2003年、同州マラトボ村地区埋葬地から抑留中に死亡した383柱を収容。長治さんの遺骨は収容後、千鳥ケ淵ちどりがふち戦没者墓苑ぼえん(東京)に安置されていたが、DNA鑑定で身元判明に至った。遺骨は5日、厚生労働省から青森県に届き、県健康福祉政策課職員が6日、大間町奥戸の盛利さんの自宅に届けた。[br] 盛利さんによると、長治さんの兄で、二男だった父貢(みつぎ)さんを含め、きょうだい8人中、長男から五男の5人が戦争に行き、長治さんと三男幸作さん、四男左作さんの3人が死亡した。[br] 盛利さんが生まれる1年前に長治さんは入営したため面識がなく、貢さんも戦争当時のことは話したがらなかった。このため長治さんのことは今回、県職員から身元判明の経緯の説明を受けるまで何も知らなかったという。盛利さんは「ただ(仏壇の)写真を見て手を合わせているだけだったが、今分かって本当にかわいそうで…。帰ってきたことで安心してるんじゃないかな」としのんだ。[br] 遺骨は同日、岩泉家の菩提寺(ぼだいじ)である崇徳寺の住職に供養してもらった。お盆期間を含めて仏壇に置き、今月末に先祖代々の墓に納骨する予定。[br] 県によると、県出身者のうち、DNA鑑定で遺骨が遺族の元に返還されるのは、長治さんで27柱目。岩泉長治さんの遺骨を受け取る、おいの岩泉盛利さん(左)=6日、大間町奥戸