【連載・八戸三社大祭「伝統の原点へ」】第1部(2)発祥の意義

八戸三社大祭における神事としての認識は薄れつつある。300年目の節目は、あらためて祭りの意義について考える機会とも言えそうだ=2019年8月、八戸市
八戸三社大祭における神事としての認識は薄れつつある。300年目の節目は、あらためて祭りの意義について考える機会とも言えそうだ=2019年8月、八戸市
「祭りは中止になる」。八戸市民の中には、今年の八戸三社大祭が開催されないと思い込んでいる人も多い。祭り本来の目的である3神社の祭礼行事は行われるものの、新型コロナウイルスの影響で、祭りを彩る山車の合同運行が取りやめられるためだ。こうした誤解.....
有料会員に登録すれば記事全文をお読みになれます。デーリー東北のご購読者は無料で会員登録できます。
ログインの方はこちら
新規会員登録の方はこちら
お気に入り登録
週間記事ランキング
 「祭りは中止になる」。八戸市民の中には、今年の八戸三社大祭が開催されないと思い込んでいる人も多い。祭り本来の目的である3神社の祭礼行事は行われるものの、新型コロナウイルスの影響で、祭りを彩る山車の合同運行が取りやめられるためだ。こうした誤解が広がるのは、厳かな神社行列に従い連なる山車が、いつのころからか祭りの“目玉”になっていることを物語る。[br] 祭り発祥に関わるおがみ神社で28代宮司を務める坂本守正さん(70)は、300年の歴史の重みをかみ締めるとともに自戒の念を込めて話す。[br]「神社行列がイベント的要素で捉えられている現状は懸念している。その意義を理解いただけるよう努めたい」[br]   ◇    ◇[br] 伝統の祭りは五穀豊穣(ほうじょう)の願いから生まれた。享保5(1720)年、八戸藩は春から続く天候不良に見舞われ、凶作の危機を迎えていた。立ち上がったのが八戸町の有力商人たち。命を賭した雨乞いで飢饉(ききん)から町を救った山伏の伝説が残る法霊社(現おがみ神社)で、天候回復を祈願した。こうして秋の収穫を迎えることができたことから、翌年に感謝を込めて、長者山虚空蔵(こくぞう)堂(現長者山新羅神社)まで神輿(みこし)の渡御を行ったのが祭りの起源とされる。[br] その後も豊作への感謝と願いをささげる神事として受け継がれてきた。明治時代に入り、趣向を凝らした風流山車が登場し、町民挙げての祭りとなった。[br]   ◇    ◇[br] 祭りの合同運行で山車を従える神社行列。沿道では目の前を通る各神社の神輿にそっと手を合わせるのが習わしだ。こうした文化は親から子らへと伝えられてきた。同市根城5丁目の田村きせさん(81)は「神輿には神様がいらっしゃるから、手を合わせるんだよと毎年、孫に教えている」と話す。一方で「周りを見ても、やっていない人が多いように見える」と昔ながらの光景が失われようとしていることに胸を痛める。[br] 全27の山車組で構成するはちのへ山車振興会の田端隆志副会長(66)は「祭りを盛り上げる郷土芸能や山車組はすべて神社の氏子。山車制作者の中でも知らない人が増えてきた」と時代の変化に実感を込める。一方、「参加者も見物客も祭りの意味を見つめ直す時に来た。神社行列に思いをはせることで、次の夏は違った見方で楽しめるはずだ」と強調する。歴史を積み重ねるほどに輝きを増す伝統。先人たちの思いに再び光を当てることが、祭りの魅力をさらに高めると信じる。八戸三社大祭における神事としての認識は薄れつつある。300年目の節目は、あらためて祭りの意義について考える機会とも言えそうだ=2019年8月、八戸市