桐材に携わり50年 下駄職人・高村さん(十和田)13日で引退

下駄職人を引退し、鯉艸郷での実演販売を終了する高村憲佑さん=6日、十和田市
下駄職人を引退し、鯉艸郷での実演販売を終了する高村憲佑さん=6日、十和田市
木目が美しく、汚れが目立たないのが特徴の焼桐下駄(きりげた)。制作する十和田市の高村憲佑さん(75)は、青森県内でもすっかり珍しくなった下駄職人だ。近年は同市の観光園「鯉艸郷(りそうきょう)」に絞って実演販売を続けてきたが、高齢などを理由に.....
有料会員に登録すれば記事全文をお読みになれます。デーリー東北のご購読者は無料で会員登録できます。
ログインの方はこちら
新規会員登録の方はこちら
お気に入り登録
週間記事ランキング
 木目が美しく、汚れが目立たないのが特徴の焼桐下駄(きりげた)。制作する十和田市の高村憲佑さん(75)は、青森県内でもすっかり珍しくなった下駄職人だ。近年は同市の観光園「鯉艸郷(りそうきょう)」に絞って実演販売を続けてきたが、高齢などを理由に13日で引退する。「5年前から決めていた。惜しんでくれるお客さんがいて、職人冥利(みょうり)に尽きる」。最後の仕事を終えようとする匠(たくみ)の笑顔には、充実感と少しの寂しさがにじむ。[br] 桐工芸に携わって50年。父倉太さん(故人)が営む「高村桐材店」で働き始めたのは25歳の頃だった。40代で外注先の職人から総桐たんすの作り方を学ぶと、県内外の物産展などで自前のたんすと下駄の販売を始め、評判となった。[br] 同園では開園した1988年から下駄の販売を続ける。焼桐下駄が誕生するきっかけもこの場所だった。[br] それまで扱っていた下駄は、桐の製材をそのまま使い、薬剤を塗ってつやを出していた。来園者から「汚れが目立たないものを」という要望があり、焼き加工を施した黒みがかった下駄を考案した。[br] あぶった後のすす洗いや木目を出すための磨きなど、作業が倍以上に増え、一日で作れる数は半減した。それでも美しさにこだわり、妥協しなかった。[br] たんすの需要低下や視力の衰えから、10年ほど前からたんす作りを辞め、下駄をメインにした。[br] 材料の桐は自ら用意する。同市周辺で伐採し、運搬や製材までも手掛けてきた。桐の調達が体力的に厳しくなっていたことや自身の店も老朽化が進んでいたことから、5年前に数年分の桐をまとめて確保し、「使い切ったら引退」と心に決めた。[br] “花道”に選んだのが、長年親しんだ同園だった。今年は5月下旬から実演販売を再開し、売り場に「今年で出店を終了する」と張り紙を出した。名残惜しむ常連客が県内外から訪れ、「ここの下駄じゃないと履けない」と、まとめ買いしていく人もいたという。[br] 高村さんは「最後まで評価してくれるお客さんがいて、ありがたい。下駄だけじゃ商売にならなかったが、喜ばれることが、やりがいだった」とほほえむ。職人のこだわりを込めた焼桐下駄は、残りわずかだ。下駄職人を引退し、鯉艸郷での実演販売を終了する高村憲佑さん=6日、十和田市