天鐘(6月8日)

〈世の中に思ひやれども子を恋(こ)ふる思ひにまさる思ひなきか な〉。平安時代の歌人・紀貫之が『土佐日記』の中にしたためる一首である。この世でわが子を恋い慕う気持ちに勝るもはない、と▼三つ並んだ「思ひ」に親心がにじむ。どれほど多くの「思ひ」を.....
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 〈世の中に思ひやれども子を恋(こ)ふる思ひにまさる思ひなきか な〉。平安時代の歌人・紀貫之が『土佐日記』の中にしたためる一首である。この世でわが子を恋い慕う気持ちに勝るもはない、と▼三つ並んだ「思ひ」に親心がにじむ。どれほど多くの「思ひ」を、この人は胸に抱えて生きてきたことか。最愛のまな娘を再び抱くことができないまま旅立ってしまった横田滋さん(87)▼平穏な暮らしが突然、奪われたのは45歳の誕生日の翌日だった。当時中学生だった長女のめぐみさんが行方不明になる。北朝鮮による拉致だと知らされたのはそれから20年もたってから。「理不尽」との闘いの始まりである▼懸命の救出活動は妻の早紀江さんとの二人三脚。「訴える場をもらえるだけでありがたい」と全国で1400回以上の講演を重ねた。「娘を取り返す」という揺るぎない信念をエネルギーに変えてきた▼いつも温厚で笑顔の人だった印象がある。それだけに、めぐみさんの死亡説に流した涙や、遺骨の偽装に「満腔(まんこう)の怒り」との強い言葉で示した抗議の姿勢が忘れられない。まさに希望と絶望の間で翻弄(ほんろう)され続けた半生だった▼“普通の父親”に戻ることを夢見て、晩年は限りある「時間」とも闘ってきた。誕生日にめぐみさんからもらった「くし」をずっと大切に持っていたという。父の日を前にして届いた訃報に、ただ頭を垂れるのみである。