田名部移住追体験 むつ市民有志が陸路40キロ踏破/斗南藩150年記念

むつ市を目指し、横浜町を出発する市民有志
むつ市を目指し、横浜町を出発する市民有志
明治初期の戊辰(ぼしん)戦争で敗れ、朝敵・逆賊の汚名を着せられて滅藩となった会津藩の藩士が、斗南藩として再興を許され、青森県東部を中心とした領地に移住したのは150年前。その当時、藩士がたどったとみられる陸路で田名部(現むつ市)に向かう行程.....
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 明治初期の戊辰(ぼしん)戦争で敗れ、朝敵・逆賊の汚名を着せられて滅藩となった会津藩の藩士が、斗南藩として再興を許され、青森県東部を中心とした領地に移住したのは150年前。その当時、藩士がたどったとみられる陸路で田名部(現むつ市)に向かう行程を追体験する、初めてのイベントが2日開かれ、参加した市民有志が先人の苦難に思いをはせた。[br] 斗南藩は1869(明治2)年11月、明治政府から9代会津藩主松平容保(かたもり)の長男容大(かたはる)への家督相続が許されてできた藩で、71(同4)年7月の廃藩置県まで存在した。70(同3)年4月、最初の藩庁が五戸代官所跡に置かれ、71年2月に同市田名部の円通寺に移された。元会津藩士や家族合わせて1万7300人が移住し、田名部にも4500~5千人が移り住んだとされ、同市の教育振興などに貢献した。[br] イベントは地域の歴史を振り返り、市発展の礎を築いた先人に感謝しようと、同市の地域おこし団体「ディスカバリーむつプロジェクト」が“むつの日”(6月2日)に合わせて企画。むつ青年会議所の会員ら22人が参加した。[br] 当時、元会津藩士が一日当たり、歩いたとみられる十里(約40キロ)を目標距離に設定。一行は羽織はかまや小袖姿など当時の衣装に着替え、午前4時半に横浜町雲雀平の幸田露伴文学碑前を出発。国道279号や海岸沿いを進み、かつて藩士が参拝していた同市田名部の妙見神社に午後5時にたどり着いた。[br] ディスカバリーむつプロジェクトの髙屋龍一代表(39)は「先人は故郷を追われた負の感情もあったと思うが、新天地で頑張るという希望の思いもあったと思う。こうした気持ちを少しでも理解して歩けたのではないか」としみじみ。[br] 6代前の先祖が移住してきた藩士という小島勝さん(38)は「40キロを歩くのは大変だったが、先祖が見た風景と同じ風景を見ることができたのかな」と感慨に浸っていた。むつ市を目指し、横浜町を出発する市民有志