天鐘(5月2日)

かつて「結核の文学」と呼ばれる“ジャンル”があった。多感な若者が青白く痩せ細り、美しいまま天に召される。若い男女の愛と別離。涙なしには語れない作品群だった▼それもそのはず書き手が結核に侵され、病魔と苦闘しながら仕上げた。戦前、わが国の死因は.....
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 かつて「結核の文学」と呼ばれる“ジャンル”があった。多感な若者が青白く痩せ細り、美しいまま天に召される。若い男女の愛と別離。涙なしには語れない作品群だった▼それもそのはず書き手が結核に侵され、病魔と苦闘しながら仕上げた。戦前、わが国の死因は断トツで肺結核。不治の病で正岡子規、石川啄木、樋口一葉、竹久夢二、中原中也ら多くの若者が志半ばで逝った▼19世紀の欧州では天然痘と違って色白で死ねる“美の病”と呼ばれた。1882年、独国の医師ロベルト・コッホが結核菌を発見。1944年に米国の生化学者セルマン・ワクスマンの特効薬発見で世界が変わる▼抗生物質「ストレプトマイシン」だが、耐性化を克服し抗結核薬が揃(そろ)ったのはその25年後。堀辰雄も「僕から結核菌を除いたら…」と当惑。「結核ロマン化の時代」(福田眞人(まひと)著『結核という文化』)が続く▼特効薬は1950年に国産化が始まり、南北朝鮮の境界から“38度線”とも呼ばれた。梶井基次郎は間に合わず、吉行淳之介は助かった。治る病にはなったが、生き残りの自責感が作品に微妙な影を落としていく▼感染症の実相は執拗(しつよう)で残忍だ。新型コロナに隙を与えてはいけない。行動変容に治療薬とワクチンで短期決戦と行きたいがどうやら長期戦は必至。かつての日常は早くも忘却の彼方に去りつつある。今この場が人類史の最前線である。