【世界のJOMONへ】第2部・縄文の価値(3)是川の縄文人

中居遺跡から見つかった墓には、赤く染められた人骨が埋葬されていた(八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館提供)
中居遺跡から見つかった墓には、赤く染められた人骨が埋葬されていた(八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館提供)
八戸市の是川石器時代遺跡は中居、一王寺、堀田の3遺跡から構成される縄文前期から晩期の集落遺跡群だ。一王寺では細長いバケツ形の土器が大量に見つかり、円筒土器の型式区分を明確にした。中居は貴重な低湿地にある遺跡として有名になり、墓や竪穴住居、木.....
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 八戸市の是川石器時代遺跡は中居、一王寺、堀田の3遺跡から構成される縄文前期から晩期の集落遺跡群だ。一王寺では細長いバケツ形の土器が大量に見つかり、円筒土器の型式区分を明確にした。中居は貴重な低湿地にある遺跡として有名になり、墓や竪穴住居、木製品などさまざまな物が出土した。[br] 是川の縄文人は何を食べ、何を信仰し、どのように暮らしていたのだろうか。数々の遺物からは、他の遺跡とは異なる是川の独自性が浮かび上がってくる。[br] 縄文前期から中期の大規模集落跡である三内丸山遺跡(青森市)が、住居や墓、貯蔵庫などがそろっているパッケージ的なムラとすれば、中居遺跡は住居跡に比べて墓が圧倒的に多く、祭祀(さいし)関連の遺物が数多く出土するなど、生活を営むだけの集落とは性質が異なる。水場ではトチなどの堅い果実を食用に加工した跡も発見されている。[br] 「考えられるのは、中居は縄文人が他から集まってきて、漆器作りや木の実の加工、祭りや葬りの儀式を行った可能性があるということだ」。[br] 八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館の小久保拓也主幹はこう推測する。[br] 竪穴住居が数棟しか見つかっていないのに対し、墓は124基も出土。亡きがらを白骨化させ、赤色の顔料を塗り、頭を西向きにして埋葬していたようだ。顔料の赤は太陽や血の色である「再生の色」とされ、小久保主幹は「はっきりとは分からないが、太陽が沈む方角に頭部があり、遺体を自然に帰すというよりも、再生してほしいという願いが込められたのではないか」と指摘する。[br] 縄文人の知恵がよく分かるのも中居遺跡の特徴だ。クリの木から作った板で水をせき止め、ダム状にした水場でトチなどをアク抜きして食用にしていた。さらに水場を作ったために、よどんだ水を新たに水路を作って迂回(うかい)させるなど、縄文人は自然に手を加えて水の流れを変えるという工夫をしていたようだ。[br] 是川縄文館運営協議会会長で考古学者の岡村道雄さん(72)=東京都在住=は「“神”である自然と上手に付き合い、自然からの授かり物は自然に帰すという哲学がこの時代に生まれた」と分析する。[br] 自然との共生を念頭に置きながら、祈りや祭りを大切にしていた縄文人。特に漆は採れる量が少なく、漆器は完成するまで手間と時間がかかる作業だが、出土した30束近くの弓には、装飾などの目的で漆が塗られていた。[br] 小久保主幹は「おそらく1シーズンでは無理な作業で、計画的に行っていた可能性がある。翌シーズンへ受け継ぐには、情報共有が必要だったため、縄文語が使われていたのではないか」と推し量る。[br] その縄文語は現在の東北地方の方言に継承されているという説もある。中居遺跡から見つかった墓には、赤く染められた人骨が埋葬されていた(八戸市埋蔵文化財センター是川縄文館提供)