【震災から9年】静かな節目、それぞれの鎮魂

海岸近くの献花台の前で手を合わせる人々=11日午後2時半すぎ、野田村
海岸近くの献花台の前で手を合わせる人々=11日午後2時半すぎ、野田村
「あの日、あの時を忘れない」。東日本大震災から丸9年がたった11日、被災地では国内外で猛威を振るう新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、追悼行事やイベントの中止や縮小が相次いだ。“自粛ムード”の異例の状況で静かな節目を迎える中、北奥羽地.....
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 「あの日、あの時を忘れない」。東日本大震災から丸9年がたった11日、被災地では国内外で猛威を振るう新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、追悼行事やイベントの中止や縮小が相次いだ。“自粛ムード”の異例の状況で静かな節目を迎える中、北奥羽地方最大の被災地・野田村や、産業関係などで甚大な被害に見舞われた八戸市などでは海岸部に人々が駆け付けて、犠牲者の霊を慰めたり、年々進む風化の防止などを訴えたりしながら、安心安全な地域づくりへの決意を新たにした。[br] 野田村ではこの日、間もなく完成を迎える巨大な防潮堤の近くに建立された大津波記念碑の前に献花台を設置。午前中から住民たちが次々と訪れ、穏やかな海に向かってそっと手を合わせた。[br] 村内の実家が流され、父と弟を亡くした久慈市の越戸礼子さん(60)は家族とともに献花。「今でもここで起きたことが信じられなくて」と言葉を詰まらせながら、「月命日の墓参りもしているが、やはり今日はね…。あれから9年もたったんだね」とやりきれない思いをかみ締めた。[br] 兄を亡くし、自宅を失ったという同村の中野大六さん(71)は「もう9年と思う一方、まだ9年しかたっていないとも感じる。ハードの復旧は進んだが、心はそう簡単に元通りにはならない」。そんな複雑な思いを抱きながら、「それでも前を向いて生きていかないとね」と自らに言い聞かせるように語った。[br] 一方、八戸市鮫町の種差天然芝生地。毎年恒例となっていた鎮魂イベント「HUMANBAND(ヒューマンバンド)」が中止となったものの、約60人が自主的に集まって、地震が発生した午後2時46分に合わせて1列に並んで手をつなぎ、黙とうした。[br] 「亡くなった方や被災者に祈りをささげるために絶対来ようと思っていた」と毎年参加している同市の佐藤久美子さん(66)。イベントが中止となったことを残念がり、「来年は10年の節目となる。芝生地の端から端まで大勢でヒューマンバンドができれば」と願った。[br] 同イベントが中止になったため、同市の蕪島を訪れてみたという山村有美さん(43)は「震災を知らない子どもたちも増えている。記憶を伝えるためにも来年以降も追悼行事を続けてほしい」と。震災を語り継ぐ重要性を強調した。海岸近くの献花台の前で手を合わせる人々=11日午後2時半すぎ、野田村