【震災9年】亡き友思い描きためた海、“あの日”を乗り越え寄り添う作品に

東日本大震災の発生前日まで八戸市内の海を描き続けていた大嶌雅子さん。「古里の海は温かい場所」と思いを強くしている=1日、八戸市
東日本大震災の発生前日まで八戸市内の海を描き続けていた大嶌雅子さん。「古里の海は温かい場所」と思いを強くしている=1日、八戸市
2011年2月16日に思い立ち、翌日から毎日、八戸市内の海を描き続けた。しかし、“あの日”を境に活動は終わりを迎えた。 同市でアート活動を行う大嶌雅子さん(51)。突然訪れた親友の死と向き合うため、手紙をしたためるように始めたが、図らずとも.....
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 2011年2月16日に思い立ち、翌日から毎日、八戸市内の海を描き続けた。しかし、“あの日”を境に活動は終わりを迎えた。[br] 同市でアート活動を行う大嶌雅子さん(51)。突然訪れた親友の死と向き合うため、手紙をしたためるように始めたが、図らずとも描きためた絵は、東日本大震災へのカウントダウンのような意味合いを帯びた。[br] 自然の猛威、人間の無力さに心を痛めたが、時が過ぎ、あることに気付いた。「震災で海への恐怖を感じたが、古里の海は多くの人にとって懐かしく温かい場所だった」[br]  □      □[br] 八戸で生まれ育ち、幼いころからピアノに打ち込んできた。大学でも音楽を専攻し、夢に向かってまい進したが、プロへの道は険しく、一度は都内で就職。ただ、表現者への思いは消えることはなかった。[br] 八戸に戻り、アートの世界と出会った。絵を描いていた時、心につっかえていたものが取れたような新しい感覚と、音楽とは違う目の前の題材と向き合う楽しさを知った。[br] 水彩画や油絵など絵画の基礎を一から学び、各地で個展も開催。幼稚園や大学での講師もこなしていた最中、友との別れはあまりにも突然だった。[br] 「何もしてあげられなかった」。11年1月、友人は他界。1カ月近く悔やみ続けた後、はがきに絵を描き始めた。心の中でポストに投函するように。そして、美しい景色に触れることは、自身にとってもリハビリのようだった。[br] 最初は黒鉛筆でスケッチを続け、3月4日には描いた作品に初めて色を加えた。心が少しずつ軽くなっているのを感じていた。[br] そして震災の日、1カ月近く見てきた景色は一変した。活動を続けようと、発生後に訪れたが、描こうという意欲は湧き起こらなかかった。亡き友が「もういいよ」と言ってくれているようだった。[br] 作品の数々を眺めているうち、友に宛てた風景は、結局自分が見たい景色であることに気付いた。人に恵を与え、震災では命を奪った海だが、「古里を重ねる多くの人に届いてほしい」。そんな思いに変わっていた。[br] 描きためた作品は、始まりを意味する「海岸線プレリュード(前奏曲)」と名付けた。多くの人に寄り添う作品になることを願って―。[br] ……………………[br] 大嶌さんの作品は現在、市文化教養センター南部会館で展示中。29日まで。東日本大震災の発生前日まで八戸市内の海を描き続けていた大嶌雅子さん。「古里の海は温かい場所」と思いを強くしている=1日、八戸市