【震災9年】荒海ホタテ、復興に光 「野田村の宝」官民一体でブランド化

ホタテを入れる網を修理する小谷地勝さん(左)と安藤正樹さん=2月28日、野田村
ホタテを入れる網を修理する小谷地勝さん(左)と安藤正樹さん=2月28日、野田村
2011年3月の東日本大震災で甚大な被害を受け、北奥羽地方で最大の被災地となった野田村で、特産のホタテがブランド化で成果を上げている。震災後は「荒海(あらうみ)ホタテ」として官民一体で売り込み、単価は震災前に比べて大幅に向上。生産量もようや.....
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 2011年3月の東日本大震災で甚大な被害を受け、北奥羽地方で最大の被災地となった野田村で、特産のホタテがブランド化で成果を上げている。震災後は「荒海(あらうみ)ホタテ」として官民一体で売り込み、単価は震災前に比べて大幅に向上。生産量もようやく元の水準に戻りつつある。震災から9年。津波から立ち直ったハマをけん引する存在となっている。[br] 「船も施設も道具も、全てなくなった。どこから手を付けていいか分からなかった」。野田村漁協野田養殖組合の小谷地勝さん(51)は震災後の心境を振り返る。222隻あった漁船は3隻だけ残った。[br] 以前のような個人の漁は到底できない状況だったが、「長く休めば再開が難しくなる」(小谷地さん)との思いで、組合の10人が共同で漁を再開。11年11月には、わずかだが震災後初の出荷にこぎ着けた。[br] 翌12年から少しずつ生産量を回復させ、14年には個人での出荷も開始。漁業者や村、第三セクターのだむらが中心となって「岩手野田村荒海団」を結成し、関係者が一丸となって本格的なPRや販売促進活動に本腰を入れ始めた。[br] 荒海ホタテは、プランクトンが豊富な外海で養殖されて大きく成長するのが特徴。17年の国の地理的表示(GI)保護制度登録も追い風となり、小売店や大手スーパーに加え、荒海団の活動で岩手県内外の店舗との直接取引が拡大した。[br] 同組合の安藤正樹さん(45)は「ネーミングやGI登録でインパクトが出て、飲食店やイベントでの提供で味を知ってもらう機会が格段に増えた。少しずつ成果が出て来ている」。確かな品質で着実にファンを獲得してきた。[br] 小谷地さんは「われわれ漁師はハマにいて出荷だけすれば良いと思っていたが、今は違う」と現場の意識の変化も実感している。[br] 価格が上がり、生産量も順調に推移。震災で狂った歯車がかみ合ってきた。一方、大きな不安材料もある。後継者不足だ。かつて30人いたホタテ養殖の漁師は9人まで減った。[br] 「良いものがあっても、やる人がいなくなってしまっては意味がない」と小谷地さん。安藤さんは「荒海ホタテは野田の宝。なくさないためにはどうしたら良いか、考えていきたい」と将来を見据える。ホタテを入れる網を修理する小谷地勝さん(左)と安藤正樹さん=2月28日、野田村