【山車小屋の行方】(中)場所確保は綱渡り

周辺住民の苦情などで移動を迫られる山車小屋。新たな山車小屋建設地として期待される旧柏崎小跡地に注目が高まる=5日、八戸市
周辺住民の苦情などで移動を迫られる山車小屋。新たな山車小屋建設地として期待される旧柏崎小跡地に注目が高まる=5日、八戸市
「明日はわが身。自分たちもいつどうなるのか…」。八戸三社大祭に参加する2カ所の山車小屋が市中心部から離れた場所への移転を余儀なくされたことに、他の山車組からは焦りにも似た声が聞こえる。 作業音による周辺住民からの苦情や、地権者の代替わりなど.....
有料会員に登録すれば記事全文をお読みになれます。デーリー東北のご購読者は無料で会員登録できます。
ログインの方はこちら
新規会員登録の方はこちら
お気に入り登録
週間記事ランキング
 「明日はわが身。自分たちもいつどうなるのか…」。八戸三社大祭に参加する2カ所の山車小屋が市中心部から離れた場所への移転を余儀なくされたことに、他の山車組からは焦りにも似た声が聞こえる。[br] 作業音による周辺住民からの苦情や、地権者の代替わりなどによって移転を迫られるケースも少なくない。ただ、毎年作り替える山車の制作場所の確保は、祭りの参加に関わる重要な課題。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録された今、山車組の在り方や地域との関わりなどを考え直す時期を迎えたと言えるだろう。[br]  ◆      ◇[br] 三社大祭には、町内会や企業など全27の山車組が参加し、八戸市全体の安寧あんねいを願う祭りとして約300年にわたり続いてきた。[br] 山車は制作者の誇りと、地域住民の理解や経済的な支援があって完成する。しかし大型化し、工夫を凝らした仕掛けが多彩になるにつれ、制作の時間や手間が増え、連日深夜まで続く作業音が徐々に問題化。空き地減少や地域コミュニティー力の低下を背景に、山車作りができる環境は減少傾向にある。[br] 町内会単位の山車は地元に小屋を置くのが本来の姿だが、周辺住民の思いもさまざまだ。小屋近くに住む無職男性(64)は「制作が進むのを見るとわくわくする。苦情を言うのはナンセンスだ」といぶかる。一方、男性の妻(65)は「少なくはなったが、夜遅くまで金属を切るような音が響いている。酒盛りや笑い声がうるさい時もある」と苦言を呈す。[br] 山車小屋をめぐっては、かつて青葉2丁目の市有地を「山車団地」として10の山車組が利用。その後、市立柏崎小が移転・新築されることになり、各組とも新たな場所を確保せざるを得なくなった。[br] 長者まつりんぐ広場などの“新天地”に移転できた所もあったが、四つの山車組が代替地を探せず、市などの協力を受け、2010年から江陽3丁目の東部終末処理場の敷地内へ。ただ、公共用地の特例を活用した暫定的な措置であり、これまで数度にわたって国などに占用延長の許可を得ながら、綱渡り状態で使ってきたのが現状だ。[br] 処理場内に入居する山車組関係者は「行くあてはない」と厳しい表情。他の山車組も「参加できなくなるかもしれない思いを抱えている」と不安を明かす。個人から土地を借りる関係者からも同様の意見が多い。[br] 自前で場所を確保できる山車組も安心してはいられず、「受け入れてもらえるよう努力しなくてはだめ」「作業体制も見直さなければ」と地域との協調に配慮せざるを得ない状況だ。[br]  ◇      ◆[br] 安定的な制作場所の確保へ向け、現在注目されるのが、同市柏崎2丁目の旧柏崎小跡地だ。市は昨年2月、山車小屋や広場を設ける計画を公表。閉校以降、長らく議論されてきた跡地利用に一つの方向性が見いだされ、抜本的な解決策として期待する関係者も多い。[br] 山車組で組織する「はちのへ山車振興会」の小笠原修会長は「跡地の活用は今後の山車制作に大きな影響を与える」と指摘。「山車組、地域ともに歩んでいける持続可能な関係が築かれれば、祭りをさらに発展できる」と力を込めた。周辺住民の苦情などで移動を迫られる山車小屋。新たな山車小屋建設地として期待される旧柏崎小跡地に注目が高まる=5日、八戸市