【震災10年】福島で培ったバド人生 桃田賢斗選手インタビュー

 東日本大震災から10年に合わせインタビューに応じるバドミントン男子の桃田賢斗選手
 東日本大震災から10年に合わせインタビューに応じるバドミントン男子の桃田賢斗選手
東京五輪で金メダル獲得が期待されるバドミントン男子シングルスの桃田賢斗選手(26)=NTT東日本=が東日本大震災から10年に合わせ、インタビューに応じた。当時は事故のあった東京電力福島第1原発に近い福島・富岡高の1年生。震災の記憶や内陸部の.....
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 東京五輪で金メダル獲得が期待されるバドミントン男子シングルスの桃田賢斗選手(26)=NTT東日本=が東日本大震災から10年に合わせ、インタビューに応じた。当時は事故のあった東京電力福島第1原発に近い福島・富岡高の1年生。震災の記憶や内陸部の猪苗代町に活動拠点を移した経験などについて語った。[br][br] ―10年が経過。[br][br] 「本当に長いようで短いし、短いようで長い」[br][br] ―発生時はどこに。[br][br] 「インドネシアに1人で行っていた。お昼の練習中にいきなり呼ばれ、テレビを見て知った」[br][br] ―何が映っていたか。[br][br] 「仙台空港が映っていて、ほとんど流されているような感じだった。(日本に)電話したが回線が混み合って夜までつながらなかった。このまま帰れないかもしれないと言われ、すごく孤独感があったのは覚えている」[br][br] ―帰国後は福島県には戻れず香川県の実家に一時帰宅した。[br][br] 「原発が爆発した時は本当にやばいんじゃないかなと。ぞっとした感じだった」[br][br] ―発生から約2カ月後に部員と再会した。[br][br] 「めちゃくちゃ感動した。『生きていたんだ』とまではいかないけど、すごくうれしかった。(再集合からは)もうチームメートというより家族みたいな感覚。そこから本当に濃いバドミントン生活ができた」[br][br] ―活動拠点が移った。[br][br] 「また(競技を)やらせてもらえるとなった時はすごくうれしかった。ストイックに練習に取り組めていた」[br][br] ―震災前の校舎には。[br][br] 「15年か16年に1回だけ入らせてもらった。地震の揺れでぐちゃぐちゃになっているのは分かっていたけど想像以上。自分の席も分かるけど全部ぐちゃぐちゃ。机の中身も全部出ていた感じで相当ショックだった。きつい練習をした体育館は照明が全部落ち、照明のガラスみたいなのが割れていて言葉が出なかった」[br][br] ―震災当日に日本にはいなかったが、被災者として伝えたいことは。[br][br] 「チームメートと会えないだけで本当につらかった。でもその中でいろんな人が協力して少しずつ復興して、まだ完全な状況ではないと思うけど、人と人とが協力するエネルギーは本当にすごいと思った。自分も結果やスポーツの力でそういう人たちの頑張りを少しでもサポートできたらいいかなと思う」[br][br] ―富岡町と猪苗代町はどういう場所か。[br][br] 「中学生から福島県にいて第二のふるさと。僕のバドミントン人生は福島県で培われたと言っても過言ではない。自分を成長させてくれた場所」[br][br] ―震災10年の年に延期された東京五輪がある。[br][br] 「何かの縁があると思う。前回大会の時は(自身の不祥事で出場できず)本当に迷惑を掛けてしまった。挽回できるように責任感を持って、二倍感動を与えられるように頑張りたい。自分が悔いなく戦うのもそうだし、元気や感動を与えられるような試合をして金メダルを取れたらいいなと思う」 東日本大震災から10年に合わせインタビューに応じるバドミントン男子の桃田賢斗選手