【刻む記憶~東日本大震災10年】後藤さん“当たり前”の風景守る

「浜のスーパー 漁港ストア」の再建に力を尽くした後藤隆貴さん=2月上旬、八戸市
「浜のスーパー 漁港ストア」の再建に力を尽くした後藤隆貴さん=2月上旬、八戸市
漁船が行き交う八戸港の館鼻岸壁で営業を続け、今年で創業47年目を迎える「浜のスーパー 漁港ストア」。演歌が流れる店内の食堂では2月上旬、地域住民らが昔ながらの自家製そばやうどんなどを味わい、思い思いに昼のひとときを過ごしていた。運営する八戸.....
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 漁船が行き交う八戸港の館鼻岸壁で営業を続け、今年で創業47年目を迎える「浜のスーパー 漁港ストア」。演歌が流れる店内の食堂では2月上旬、地域住民らが昔ながらの自家製そばやうどんなどを味わい、思い思いに昼のひとときを過ごしていた。運営する八戸水産公社次長の後藤隆貴さん(32)は10年前、今の自分の姿を想像すらしていなかった。東日本大震災の津波で店は半壊し、父親らが経営する同社は廃業の危機に陥った。大学卒業間際の若者は人生の岐路に立たされていた。[br][br] 同社は当時、祖父から父へ経営が切り替わる時期で、大学4年だった後藤さんは家業に就かず、青森県内の企業に就職することが決まっていた。大きな揺れに襲われたのは東京から帰省し、卒業式までを八戸市内の実家で過ごしていた時だった。[br][br] その晩、帰宅した父から、会社や店が津波にのみ込まれたと聞いた。翌日、父と2人で見た館鼻岸壁の光景に言葉を失った。打ち上げられた漁船や倒された電柱、横転した車が津波の威力を物語っていた。店内は壁や天井が剝がれ落ち、がれきや泥、流された自動販売機などで埋め尽くされていた。[br][br] 父は会社と店を再建するべきか悩んでいた。「いろんな人に迷惑をかけてしまう」と悔しそうに漏らした一言に、思い出の詰まった店との別れを覚悟した。[br][br] いざ店がなくなることを想像すると寂しさが込み上げた。幼い頃の記憶や常連客の笑顔が次々と頭の中によみがえり、思いがあふれた。「どうしても店を守りたい。俺も手伝うよ」。父に打ち明け、慣れ親しんだ制服に袖を通した。[br][br] 「店を開けなきゃ始まらない」と店の修復に明け暮れた。地域住民らボランティアも数多く駆け付け、共に泥まみれになり、汗を流してくれた。感謝の気持ちを示そうと、津波から5日後には、そば千食を無料提供した。近くで復旧作業に当たっていた人たちも集まり、店はいっぱいになった。穴だらけの壁や天井をブルーシートや木板でふさぎ、震災わずか6日後には営業を再開した。[br][br] 急ごしらえの店舗で営業をしながら、復旧作業も続け、1年がかりで修復を終えた。店には震災前と同じように多くの客が訪れた。戻ってきた“当たり前”が胸に染みた。[br][br] 震災から10年となり、店内は近所の人や漁業関係者らでにぎわう。就職に悩む若者などを支援する会社「アールG」を立ち上げ、雇用を積極的に進める。「たくさんの人にここで思い出を作ってほしい」と後藤さん。あの日守った大切な店は地域にとってもかけがえのない場所となっている。[br]※随時掲載「浜のスーパー 漁港ストア」の再建に力を尽くした後藤隆貴さん=2月上旬、八戸市