【刻む記憶~東日本大震災10年】ガソリン不足、噂が混乱に拍車

震災直後、停電のため手動で給油をしていた=2011年3月12日、八戸燃料城下サービスステーション
震災直後、停電のため手動で給油をしていた=2011年3月12日、八戸燃料城下サービスステーション
災害時に市民の命を守る情報。インターネットの普及により情報を得る手段は多様化し、便利な半面、活用方法を間違えると社会に大きな混乱をもたらす。東日本大震災で市民生活に影響を与えたのは、津波による直接的な被害ばかりではなかった。「ガソリンが不足.....
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 災害時に市民の命を守る情報。インターネットの普及により情報を得る手段は多様化し、便利な半面、活用方法を間違えると社会に大きな混乱をもたらす。東日本大震災で市民生活に影響を与えたのは、津波による直接的な被害ばかりではなかった。「ガソリンが不足するらしい」。震災直後に八戸市内でどこからともなく流れた噂は市民から冷静さを奪った。ガソリンスタンドには客が殺到。一部店舗は在庫を持ちながら、営業休止に追い込まれた。[br][br] 2011年3月11日、大きな揺れの直後、市内のガソリンスタンドは停電に見舞われた。複数の店舗を構える八戸燃料は一斉に営業を休止し、従業員の安否確認や設備点検に追われた。給油機が動かないなど影響はあったが、12日は手回し給油機を使い再開した。[br][br] 太平洋沿岸が被災したため、併せて日本海側の青森市や秋田県からガソリンを調達する手はずを整えた。ただ、配達に時間を要し、13日は再び休業を余儀なくされた。それでも14日以降は同社に隣接する城下サービスステーション(SS)のみを開け、1回の給油量を制限すれば、計画上は入荷が安定するまで持ちこたえられるはずだった。[br][br] 一方で各地の被害状況が明らかになり始め、「ガソリンがない」との噂が一気に広がった。14日は営業開始前から片側1車線の周辺道路を車両が埋め尽くし、救急車両の通行に支障を来す危険すらあった。[br][br] 当時同SS所長だった同社石油部次長の佐々木英紀さん(49)は「全員に望む量を供給できず、断るのがつらかった」と振り返る。殺気立った客から心ない言葉や唾をかけられた店員もいた。「営業することで、かえって市民を不安にさせているのではないか」。同社は翌日の営業を休止する苦渋の決断をした。[br][br] その後は日替わりで開ける店舗を変え、冷静に利用してもらえる方法を模索。片側2車線で渋滞を最小限に抑えられる市内の浜市川SSに営業を集約した。全店舗で数量制限なしの給油を再開できたのは、震災から18日後の29日だった。[br][br] 震災を教訓に、同社では各スタンドに発電装置を配置し、災害時の対応を強化。車の燃料メーターが半分になったら給油する「満タン運動」を市民に呼び掛ける。同社石油部長の杉沢正敏さん(62)は「もう二度と同じことは起きてほしくない。城下SSでの失敗は繰り返さない」と10年前の苦い経験を糧にする。[br][br] ガソリン不足は市民の記憶にも深く残る。スタンドの行列に何度も並んだという同市八太郎3丁目の女性会社員(52)は「生活に必要な情報が得られないから『営業しているらしい』という噂に頼るしかなかった」と声をとがらせる。[br][br] 最近の新型コロナウイルスを巡る混乱と重ねる人もいる。同市吹上1丁目の無職男性(71)は自戒の念を込めて話す。「10年前はガソリン、昨年はマスク。文句を言うばかりで、自分は何が変わったんだろう」震災直後、停電のため手動で給油をしていた=2011年3月12日、八戸燃料城下サービスステーション