震災、大けが…苦難乗り越え 9年越しで居酒屋再開店

懸命のリハビリの末、居酒屋「やまだ商店」をオープンした店主の山田政直さん=4日、八戸市六日町
懸命のリハビリの末、居酒屋「やまだ商店」をオープンした店主の山田政直さん=4日、八戸市六日町
もう一度、自分の店を出したい―。八戸市六日町のアヅバル男山ビル地下1階に昨年12月末、居酒屋「やまだ商店」がオープンした。店主は東日本大震災の影響で2012年3月に閉店した、市中心街の郷土料理「いわし屋」を営んでいた山田政直さん(61)。閉.....
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 もう一度、自分の店を出したい―。八戸市六日町のアヅバル男山ビル地下1階に昨年12月末、居酒屋「やまだ商店」がオープンした。店主は東日本大震災の影響で2012年3月に閉店した、市中心街の郷土料理「いわし屋」を営んでいた山田政直さん(61)。閉店後、事故で左足に大けがを負い障害が残ったほか、脳梗塞にも見舞われたが、懸命のリハビリの末、9年越しの再出発を果たした。山田さんは「障害があってもやれるんだというところを見せたい」と意気込む。[br][br] 山田さんは旧名川町出身。鮮魚店を営んでいた父の影響で料理人を志し、地元の中学校を卒業後、石川県七尾市の老舗温泉旅館「加賀屋」で日本料理の修業を始めた。やがてめきめきと頭角を現し、東京・赤坂の料亭を経て、大分でフグとスッポン、大阪でウナギ料理を習得。25歳で独立を決め、満を持して八戸市六日町に「いわし屋」をオープンさせた。[br][br] 店は大盛況。好景気にも乗って順調に売り上げを伸ばし、30歳の頃に有限会社化。和風パブなど3店舗を経営し、従業員十数名を抱える社長となった。[br][br] 運命を変えたのは11年3月の東日本大震災。自粛ムードで市中心街への客足は途絶え、売り上げは激減。なんとか1年は貯蓄でしのいだが、限界だった。[br][br] その後、山田さんはタンカー船の船員として荷役に当たりながら、船員たちの食事作りを担当。仕事に慣れてきた頃、災難に見舞われた。16年5月、鹿島港へ着岸する際、ロープが左足に絡まり、機械に巻き込まれた。すぐさまドクターヘリで千葉県内の病院へ運ばれたが、医者には「最悪、切断せざるを得ない」と告知された。[br][br] 十数回に及び、自身の皮膚や骨盤を移植する手術を行い、なんとか切断は免れたものの、左足首から下は自らの意思で動かすことができなくなった。[br][br] その後、八戸市内の病院に転院し、リハビリを開始したが、今度は山田さんを脳梗塞が襲った。幸い軽度で済んだものの、軽い言語障害が残った。 度重なる不運にくじけかけた心を支えたのは「もう一度、自分の店を持ちたい」という強い思いだった。懸命のリハビリを続け、19年秋ごろには自力歩行が可能に。介護施設や警備員のアルバイトをしながら、開業資金をためた。[br][br] 昨年11月、「1人でやれるちょうどいい店がある」と知人から紹介があり、二つ返事で開業を決めた。[br][br] 店内はカウンター6席、4人掛けテーブル2卓。なるべく歩かずに済むよう、酒類はセルフサービスにした。「おいしいものを安く提供して、たくさんのお客さんに来てほしい」と、80種類を超えるつまみはほとんどが500円以下。自身の経験から“減塩、減糖”の調理をモットーとする。 コロナ禍で客足は少ないが、最近は口コミで予約の電話が鳴るようになったという山田さん。「一国一城のあるじ。肩肘張らず気楽に長く続けられれば」と表情は晴れやかだ。懸命のリハビリの末、居酒屋「やまだ商店」をオープンした店主の山田政直さん=4日、八戸市六日町