【震災10年 復興の歩み】(8・完)野田村 三つの〝堤防〟で村守る

津波で失われ、新たに整備した前浜地区の防潮堤=2020年12月(本社小型無人機で撮影) 
津波で失われ、新たに整備した前浜地区の防潮堤=2020年12月(本社小型無人機で撮影) 
38人が津波の犠牲となり、北奥羽地方で最大の被災地となった野田村。海岸線には総延長2640メートルの防潮堤が完成し、津波から住民の命を守るためのハード事業は完了した。今後、地域コミュニティーの再生やにぎわい創出に向け、村の復興は新たなステー.....
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 38人が津波の犠牲となり、北奥羽地方で最大の被災地となった野田村。海岸線には総延長2640メートルの防潮堤が完成し、津波から住民の命を守るためのハード事業は完了した。今後、地域コミュニティーの再生やにぎわい創出に向け、村の復興は新たなステージに入る。[br][br] 防潮堤は野田、前浜、米田の3地区にわたる。野田は新設、前浜と米田は震災前の海抜10~12メートルからかさ上げした。野田と前浜は2018年度、米田は19年度に完了し、海抜14メートルで高さがそろった。[br][br] 防潮堤は津波の引き波で倒壊が相次ぎ、前浜(1340メートル)では510メートルを残して防潮林とともに失われた。そのため、岩手県は構造を強化。防潮堤の内陸側の傾斜を長く緩やかにし、コンクリート舗装も厚くして津波に強い構造にした。[br][br] 村は第1堤防と位置付けた防潮堤をはじめ、三つの堤防で津波の到達を遅らせ、減災を図る多重防災型のまちづくりを進めてきた。三陸鉄道リアス線の線路と国道45号が第2堤防、十府ケ浦公園の盛り土が第3堤防となる。[br][br] 海側から見て最後の堤防となる同公園は、津波防災緑地として17年度に完成。震災後に危険区域となった国道沿いの約19ヘクタールを芝生地にした。展望休憩施設「ほたてんぼうだい」や遊具を備えた多目的イベント広場、パークゴルフのコースがあり、住民の憩いの空間となっている。[br][br] 震災では村中心部が津波に流され、全世帯の3分の1に当たる515棟が被害を受けた。応急仮設住宅は最大213戸。浸水被害が大きかった村役場東側13ヘクタールの土地区画整理が完了したほか、集団移転や宅地のかさ上げで住宅再建が進んだ。災害公営住宅は100戸を整備した。[br][br] 防災集団移転促進事業で整備した城内高台団地では72世帯、約170人が暮らす。新たなコミュニティーとなる新町町内会が発足し、行事や各地から訪れるボランティアとの交流事業を開催している。[br][br] 町内会長の中野大六さん(72)は「何もない状態からのスタートだったが、どうにか形になってきた」と歩みを振り返る。[br][br] 小田祐士村長は「津波で変化したコミュニティーの再生には時間が掛かるが、地域のさまざまな問題解決につながる」と語り、地域の小規模イベントなどを支援する考えを示す。津波で失われ、新たに整備した前浜地区の防潮堤=2020年12月(本社小型無人機で撮影)