【刻む記憶~東日本大震災10年】箱石さん「ウニの町」再起へ奮起

ウニ種苗の様子を見る箱石和廣さん=2月上旬、洋野町の岩手県栽培漁業協会種市事業所
ウニ種苗の様子を見る箱石和廣さん=2月上旬、洋野町の岩手県栽培漁業協会種市事業所
東日本大震災による大津波は、人々の生活を奪い去った。「ウニの町」として知られる洋野町では、岩手県栽培漁業協会種市事業所が育てるウニの種苗が流失。その数、約600万個。漁業者に恵みを与え、町の知名度を高めていた宝だっただけに、その損失はあまり.....
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東日本大震災による大津波は、人々の生活を奪い去った。「ウニの町」として知られる洋野町では、岩手県栽培漁業協会種市事業所が育てるウニの種苗が流失。その数、約600万個。漁業者に恵みを与え、町の知名度を高めていた宝だっただけに、その損失はあまりにも大きかった。所長を務めていた箱石和廣さん(61)も当時の記憶は昨日のことのように鮮明だ。「あんなに心が折られたことはない。誰があの事態を想像できただろうか」―。[br][br] 2011年3月11日午後2時46分、今まで体験したことのない強く長い揺れに襲われた。事業所は、町内の沿岸に張り巡らされている防潮堤よりも海側にある。職員らは津波の襲来におびえながら、足早に全員で事業所を後にした。 [br][br] 自宅に戻り、窓から事業所の方角を見ていると、黒く大きい波が迫り来る様子が見えた。施設自体は防潮堤の影で見えなかったが、施設周辺に到達するや、高い波しぶきが上がったことから、施設が被災したことが分かった。[br][br] 数日後、防潮堤の水門が開き、初めて被害を目の当たりにした。種苗を育てていた水槽ごと流失し、施設も壊滅状態。「ぼうぜんとするしかなかった」。片付けようとは思っても力が湧かず、時間だけが過ぎていった。[br][br] 種苗生産の終了のようにも感じていた中、後押ししてくれたのは町民だった。地元の漁業者らががれきの撤去に率先して参加。「ウニ漁のためには、まずはここが復活しないと」「一緒に頑張っていこうよ」。温かい励ましの声は期待の表れだ。ウニは放流後、漁獲できるサイズに育つまでに3、4年はかかる。種苗生産が途切れれば、その分、漁業者の収入にも影響が出る。奮起しなければならないこれ以上の理由はなかった。[br][br] ただ、事業所内を見渡せば、水温を保つためのボイラー施設は故障中。「駄目だったらそれまでのこと。とにかくやるしかない」と覚悟を決め、種苗の採取に適した水温を保てる9月になって、やっと採卵作業に着手。スタッフ総出で経過を見守り、翌年5月には無事に種苗の出荷にこぎ着けた。例年の半分ほどとなる130万個だったが、「後にも先にも、あんなにうれしかった出荷もなかった」。[br][br] その後、事業所でも毎年200万個を出荷できる体制を再整備。町内の復旧に伴い、ウニの漁獲量も年々増加するなど、ウニは洋野の代名詞として再び大きな広がりを見せていった。[br][br] 「震災後はウニを通じて、みんなに笑顔が広がっていった」。箱石さんの表情も明るい。昨年3月に定年退職したが、現在もスタッフとして事業所に残り、種苗生産にいそしむ毎日。「種苗は自慢のわが子。これからも多くの人の希望になってくれるはずだよ」[br]※随時掲載ウニ種苗の様子を見る箱石和廣さん=2月上旬、洋野町の岩手県栽培漁業協会種市事業所