3月11日で東日本大震災から10年になる。復興が進む中、中高校生が震災の実態を伝える語り部になったり、お笑いコンビが「笑いの力で震災を風化させるな」とラジオ番組でこの10年間、一貫して被災者らの声を放送したりしている。さまざまな方法で震災を語り続けることが被災者の生きる力になり、防災の意識を高めている。[br][br] 津波の爪痕が残る高校の旧校舎に併設された宮城県気仙沼市の「東日本大震災遺構・伝承館」。地元の中高4校の約80人が交代で、訪れた人を旧校舎に案内し、当時の状況を説明している。大人の語り部は常にそばにいるが、ほとんど見守るだけで「生徒たちは次の世代に伝える使命感を持っており、頼もしい」と任せているという。[br][br] 福島県立相馬高(相馬市)の部活動「放送局」は2011~18年に震災をテーマとした演劇や映画約30作品を制作。卒業生たちが作品の上映会を続けており、見た人から「震災当時の高校生の気持ちが胸に刺さる」などと感想が寄せられている。[br][br] 語り部は被災地の住民だけでない。仙台市出身の人気お笑いコンビ「サンドウィッチマン」がパーソナリティーを務めるラジオ番組は、被災者から寄せられる手紙を読み上げるなどして被災地の現状を伝えている。[br][br] 番組ディレクターは「被災地という言葉がなくなるまで番組を続けようと話していた。風化させないために、続けることに意味があった」と取材に答えている。[br][br] 震災の体験を伝えることの重要性は「釜石の奇跡」で如実に示されている。三陸地方では昔から「津波てんでんこ」と言われてきた。津波が来たら他人に構わず、各自てんでんばらばらに高台に避難するという教えだ。[br][br] 岩手県釜石市では地震発生直後、学校にいた小中学生は「津波が来るぞ」と各自、高台に避難し、ほとんどが無事だった。生徒たちが「てんでんこ」を伝え聞いていたからだ。[br][br] 逆に児童74人が犠牲となった宮城県石巻市立大川小のケースは、避難の遅れが原因だった。地元では「津波が来るまで51分あったが、避難を開始したのは1分前だった」と語られている。[br][br] 大川小校舎は震災遺構として残され、遺族らでつくる「大川伝承の会」が定期的に語り部活動を実施している。[br][br] 災害はいつやってくるか分からない。被災の体験を共有することから防災が始まると言っていい。東日本大震災の体験が若い世代に受け継がれ、語り続けられるよう期待したい。