時評(12月30日)

青森県南地方には、女性の手仕事から生まれた工芸品がある。麻布の織り目を埋めて保温性や強度を高める「南部菱刺し」、古布を再利用して織物によみがえらせる「南部裂織」などである。 厳しい風土を乗り越えるための生活の知恵は、現代において芸術作品とし.....
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 青森県南地方には、女性の手仕事から生まれた工芸品がある。麻布の織り目を埋めて保温性や強度を高める「南部菱刺し」、古布を再利用して織物によみがえらせる「南部裂織」などである。[br][br] 厳しい風土を乗り越えるための生活の知恵は、現代において芸術作品としての性格を帯びつつも、地域の暮らしに息づいている。手仕事の奥深さやしなやかさを、しっかりと後世に伝えていきたい。[br][br] 東北地方は寒冷地で綿花の栽培ができなかった。江戸時代には、日本海回りの北前船で使い古しの木綿が持ち込まれるようになった。裂き織りは最後まで資源を無駄なく使い切るために誕生したとされる。[br][br] 太平洋側の南部地方では木綿の普及が日本海側より遅かった。本格化したのは明治時代半ばに鉄道が開通してからだという。やがて色味のある布も流通するようになると、南部裂織の特徴である赤色をはじめカラフルな織物が盛んに作られた。特に帯は農閑期における貴重な収入源だった。[br][br] 手仕事は母から娘へ受け継がれた。伝統的なこたつ掛けに取り入れられる赤色は火よけの祈り。豊かな色彩は、日常に少しでも明るさを―と願う女性の心遣いでもあった。[br][br] そんな南部裂織は戦後、生活様式の変化に伴って廃れかける。農村の家庭に残っていた帯、こたつ掛け、地機を生かして復興に尽力したのが、十和田市の南部裂織保存会を立ち上げた菅野暎子さん(1936~2004年)である。[br][br] 古くは貧しさの代名詞だった“ぼろ織り”に、素朴さと温かみという新たな価値を見いだし、平成の裂き織りブームをけん引。今では伝統的な作品に加え、作り手の感性が融合したデザイン性の高い作品も生み出されるようになり、地域の魅力発信に大きく貢献している。[br][br] 菅野さんは晩年、若い世代への継承に意欲を示していたという。「自動化が進んだ現代だからこそ、子どもたちには、布の最後まで命を与え、自分の身一つで作れる喜びを知ってもらいたい」。実姉で保存会の代表を継ぐ小林輝子さんは、その思いを代弁する。[br][br] かつて祖母から子、そして孫へと伝えられた手仕事である。誇るべき南部地方の文化に触れることで、子どもたちは先人のたくましさを知り、ふるさとを思う心が育まれることだろう。伝統工芸に込められた思いと味わいを、未来へつないでいきたい。