かつて八戸市と五戸町の12・3キロを結んだ旧南部鉄道で、貨物輸送などに活躍したディーゼル機関車が約半世紀ぶりに、ゆかりの同町に譲渡されることになった。南鉄関連で現存する唯一の車両。戦後の地域史や交通史を考察する上で貴重な史料だ。“里帰り”に感慨を抱く地元住民も多いだろう。[br][br] 車両は京都府の運輸会社が所有する1956年製の内燃機関車「DC351」。全長8・1メートル、全高3・6メートル。南鉄では約10年にわたり使われた。[br][br] 南鉄OB組織がまとめた資料によると、貨車のけん引をはじめ尻内、五戸両駅での貨車入れ替えや除雪などに幅広く活用された。パワーがあり、急勾配のある沿線でも大いに威力を発揮したという。[br][br] 南鉄は68年の十勝沖地震で壊滅的な被害を受け、翌69年に廃線となったが、この車両は67年に東京の企業に譲渡され難を逃れた。その後は京都の会社が運営する広場で展示。施設の老朽化に伴い広場は今年3月に閉園し、10月になって同社と町が譲渡の確約書を交わした。[br][br] 町は車両の運搬や展示などの費用の見通しがつき次第、正式に契約を結ぶ考え。早ければ来年11月にも移送、ごのへ郷土館で展示する意向だ。同館は2階に南鉄コーナー、屋外には南鉄線志戸岸駅の復元施設を構えるだけに、うってつけの場所と言える。[br][br] 「南部バス」の前身である南鉄は五戸町発祥。特に、60代以上の町民の間で鉄路への愛着が根強い。元の本社所在地のバス停には「五戸駅」の名称が残る。半面、若い世代にとっては沿線住民でさえも南鉄を身近に感じる機会は少ない。鉄道遺構がほとんど残されておらず、致し方ない側面があるだろう。[br][br] 新型コロナウイルス感染拡大の影響が経済全般に及ぶ現況下、地方の公共交通機関も厳しい経営環境にさらされている。鉄道建設は膨大な設備投資を要し、一度廃線になると復活はほぼ不可能といわれる。公共交通に詳しい青森県県民生活文化課の中園裕主幹は「近代以降、地域の発展に貢献した鉄道を、今度は地域が支える番だ」と持論を展開する。[br][br] それだけに、失われた鉄路に再び光を当てる取り組みにも大きな意義があるはずだ。史料や記録の背後に潜む、地域の発展を目指して鉄道事業に携わった往時の人々の思いを掘り起こしたい。先人の足跡をたどることで郷土の理解が深まり、北奥羽地方で暮らす誇りが育まれるよう願ってやまない。