大病乗り越え、IH公式戦レフェリーに/大坊和希さん(八工大)

チームメイトやブレイズの選手たちが励ましの言葉を寄せてくれた横断幕と、ユニホームを手に恩返しを誓う大坊和希さん=14日、八戸市
チームメイトやブレイズの選手たちが励ましの言葉を寄せてくれた横断幕と、ユニホームを手に恩返しを誓う大坊和希さん=14日、八戸市
大病乗り越え、憧れのプロ選手と同じリンクに―。八戸工業大アイスホッケー部主将の大坊和希さん(21)がアジアリーグのレフェリーとして、今月31日に行われる東北フリーブレイズホーム戦で公式戦デビューを迎える。高校2年の時に脳腫瘍が見つかり、長い.....
有料会員に登録すれば記事全文をお読みになれます。デーリー東北のご購読者は無料で会員登録できます。
ログインの方はこちら
新規会員登録の方はこちら
お気に入り登録
週間記事ランキング
 大病乗り越え、憧れのプロ選手と同じリンクに―。八戸工業大アイスホッケー部主将の大坊和希さん(21)がアジアリーグのレフェリーとして、今月31日に行われる東北フリーブレイズホーム戦で公式戦デビューを迎える。高校2年の時に脳腫瘍が見つかり、長い闘病生活を経て氷上に復帰。「プレー以外でもホッケーに携わりたい」とレフェリーとしての技術を磨いてきた。大坊さんは「闘病中にお世話になった人たちに、競技を通じて恩返しがしたい」と意気込んでいる。[br] 大坊さんは八戸市出身。小学1年からアイスホッケーを始め、中学2年時には16歳以下日本代表候補に選ばれるなど、将来を嘱望される選手の一人で、自身もプロを志していた。[br] しかし、高校2年の春、突然病魔に襲われた。「物が二重に見える」。病院で告げられたのは、脳腫瘍という考えもしなかった病名。「家系にがんを患った人もいないし、ただただ驚いた」。診断の1カ月後には症状が急激に悪化。記憶がなくなるほどの頭痛と、耐えがたい吐き気を催し、救急搬送されると水頭症の併発も判明。その後、仙台市の大学病院に移った。[br] 腫瘍の摘出は丸一日に及ぶ手術の末無事成功したが、次は抗がん剤と放射線による治療が待っていた。「めちゃくちゃしんどかった。抗がん剤治療が始まると、吐き気やけん怠感で動けないし何も食べられない。治療のたびに体重が5キロ減った」と、当時の壮絶な闘病生活を語る。[br] 闘病中の支えになったのは周囲の励ましだった。1年に及ぶ入院生活は母・千秋さんがつきっきりでサポートしてくれた。工大一高の仲間はヘルメットに大坊さんの背番号「19」のシールを貼り、練習や試合に臨んでいた。「チームに自分の居場所があると感じてうれしかった」と大坊さん。親交のあったホッケー関係者がメッセージを寄せてくれた横断幕は、今でも部屋に飾っているという。[br] 横断幕と共に大坊さんが大切にしている物がブレイズの選手たちがメッセージを書いてくれたユニホームだ。遠く離れた地で病と闘う息子を元気付けようと、仕事でつながりのある父直樹さんがチームに依頼し、贈ってくれた。[br] 「リンクで待ってる」「一緒にホッケーしよう」。憧れの選手たちの言葉は今、選手とレフェリーと立場は違えど、現実のものになった。「同じ氷に立てるのは幸せなこと。治療を頑張って良かった」。[br] 1年間の闘病生活を経て、競技に復帰した大坊さん。それから3年。プロ入りの夢は断念したが、今はレフェリーや母校・湊中でのコーチなど、プレー以外でもホッケーに携わる道を見つけ、アイスホッケー漬けの日々を送っている。[br] 「今の自分があるのは、闘病生活、氷上に復帰するまでの日々を支え、励ましてくれた人たちのおかげ」。感謝と、アイスホッケーができる喜びを胸に、憧れの選手たちと共に氷上を駆ける。チームメイトやブレイズの選手たちが励ましの言葉を寄せてくれた横断幕と、ユニホームを手に恩返しを誓う大坊和希さん=14日、八戸市