【木村かほるさん失踪60年】帰り待つ姉、進展見せぬ拉致

木村かほるさんの帰りを待ち続ける姉の天内みどりさん=9月中旬、八戸市
木村かほるさんの帰りを待ち続ける姉の天内みどりさん=9月中旬、八戸市
1960年2月27日、看護の道を志した1人の女子学生が秋田市内でこつぜんと姿を消した。八戸市出身の木村かほるさん=当時(21)=。北朝鮮が拉致した可能性が高いとされ、木村さんと思われる目撃情報も寄せられているが、現在まで特定には至っていない.....
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 1960年2月27日、看護の道を志した1人の女子学生が秋田市内でこつぜんと姿を消した。八戸市出身の木村かほるさん=当時(21)=。北朝鮮が拉致した可能性が高いとされ、木村さんと思われる目撃情報も寄せられているが、現在まで特定には至っていない。あの日から60年。帰りを待ち続ける姉の天内みどりさん=八戸市=は今年で87歳を迎えた。「北朝鮮に行ったのかどうかだけでも、亡くなった両親の墓前に報告したい」。焦り、いら立ち、不安―。拉致問題が一向に進展しない現状に、さまざまな感情を募らせる。[br] 妹の行方が分からなくなった日から、時間が止まってしまったようだった。失踪後すぐに秋田へ向かい、八郎潟で泣きながら妹の名を叫び、捜し回ったのが昨日のことのように思える。[br] 病気がちな母親を看病したいと話していた妹。家族思いの優しい性格で、卒業後は地元での就職も決まっていた。周囲からは自殺を疑う声も聞こえた。だが、戦後に命からがら北朝鮮から引き揚げた体験から、「自ら命を絶つことは絶対にない」と、ひたすら生存を信じ続けた。[br] そして、求めていた情報が徐々に舞い込み始めた。拉致された2人のタイ人女性と、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元北朝鮮工作員が「平壌外国語大学で日本語を教えてくれた女性教師に似ている」と話し、北朝鮮事情に詳しい人からは「お姉さんと雰囲気が似ている人がいた」との証言も寄せられた。[br] 解決への決定打とはならなかったが、その中でタイ人女性たちの「(女性に)キャンディーをもらった」という言葉に心が揺さぶられた。妹が看護学生の頃、入院患者にこっそりとキャンディーをあげていたという話を聞いていたからだ。優しくほほ笑みながら手を差し出す姿が頭に浮かび、「妹に違いない」と直感した。[br] その後、情報は途絶えた。拉致問題の再調査は進まず、焦りやいら立ちが募った。それでも諦めず、拉致被害者の救出を求める声を止めることはなかった。「自分と同じように苦しんでいる人たちがいる。その事実を1人でも多くの人に忘れないでほしかった」[br] 今年6月、その代弁者でもあり、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父滋さんが亡くなった。かねてより親交があり、互いに励まし合ってきた仲だった。[br] 〈帰り来ぬ妹呼びつつ逝きし母嗚呼横田滋さん逝きてしまひぬ〉[br] 惜別の思いを短歌につづった。その姿が亡くなった自身の両親に重なり、悲しみが一層こみ上げた。[br] 今月、日本のトップが代わった。前政権同様、拉致問題の解決を掲げることに期待は高まる。「北朝鮮へ渡ったのか、幸せに暮らしているのかだけでも、何としても知りたい。そのためにこれからも声を上げていく」。その胸に再び妹を抱きしめる日が来ることを願い続ける。[br][br]▽木村かほるさん失踪事件[br] 秋田市の秋田赤十字高等看護学院に通っていた木村かほるさんが卒業試験を控える中、「ちょっと出掛けてくる」と言い残して、寮から外出したのを最後に行方不明となった。身の回りの整理もされておらず、遺書などもなかった。特定失踪者問題調査会では2003年、状況を総合的に判断し、北朝鮮に拉致された可能性が高いとされる「100番台リスト」に木村さんを掲載し、本人の特徴や失踪当時の状況などを公開。姉の天内みどりさんは、国外移送目的略取の疑いで、被疑者不詳のまま八戸署に告発状を提出。同署は告発状を受理後、秋田署が捜査を引き継いでいる。木村かほるさんの帰りを待ち続ける姉の天内みどりさん=9月中旬、八戸市