歳時記を捲(めく)り、秋の季語を探していたら「蚯蚓(ミミズ)鳴く」があった。土の中で暮らしている蚯蚓が秋になると「ジージー」鳴き出すという。正岡子規も〈手洗えば蚯蚓鳴きやむ手水鉢(ちょうずばち)〉と詠(うた)ったが、そんな馬鹿な…▼調べてみると「実際に鳴くのは螻蛄(ケラ)で蚯蚓は鳴かないと普通は説かれている。(中略)空想的、浪漫(ロマン)的季題として面白がられた」(山本健吉著『日本大歳時記』)と▼小林一茶は〈里の子や蚯蚓の唄に笛を吹く〉と詠んだ。歌の上手い蛇が蚯蚓に「お前の目をくれたら歌を教える」と持ち掛け、蛇は目を、蚯蚓は歌を得たとの伝説がある。蚯蚓が「歌女(かじょ)」とも呼ばれる所以(ゆえん)らしい▼古(いにしえ)の人々は声の主は蚯蚓と信じたが、子規らは滑稽(こっけい)や軽みの素材として愛用。本当の声の主で土中で生活する螻蛄を知る人は少ない。短い前足が万歳の格好をしており、お金がない「オケラ」の語源になった▼江戸期には秋の「地虫鳴く」「蓑虫(ミノムシ)鳴く」や春の「亀鳴く」などユーモラスな季語が生まれた。平安期には「チンチロリン」の松虫と「リーンリーン」の鈴虫が逆で、虫の音は全て「蟋蟀(コオロギ)」と詠むとか曖昧(あいまい)だった▼今ならきっと問い合わせが殺到だろう。生物学を語れば面白みは消し飛ぶ。つべこべ言わず鷹揚(おうよう)に秋の夜長をいかに情緒豊かに過ごすか―。肩の力を抜けば蚯蚓や蓑虫の鳴き声が微かに聞こえてくるような…。俳句の奥深さに驚かされる。