本三戸八幡宮(南部町)に伝わる「花厳院文書」 所有者が町に寄贈

南部町に寄贈された「花厳院文書」。右奥は仏像と厨子
南部町に寄贈された「花厳院文書」。右奥は仏像と厨子
三戸南部氏の氏神だった本三戸八幡宮(南部町)に伝わる古文書群「花厳院文書(けごんいんもんじょ)」計513点が、同町へ寄贈された。鎌倉時代から明治時代まで別当職(神職)を務めた佐々木家の所蔵品で、流鏑馬(やぶさめ)神事の始まりなど中近世の南部.....
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 三戸南部氏の氏神だった本三戸八幡宮(南部町)に伝わる古文書群「花厳院文書(けごんいんもんじょ)」計513点が、同町へ寄贈された。鎌倉時代から明治時代まで別当職(神職)を務めた佐々木家の所蔵品で、流鏑馬(やぶさめ)神事の始まりなど中近世の南部氏を伝える重要史料。町は今後、文化財指定や一般公開を検討する方針だ。[br] 文書によると、本三戸八幡宮は、南部氏が鎌倉時代に甲斐国(現在の山梨県)から奥州へ向かう際に勧請(かんじょう)し、付き従った佐々木治郎左衛門が初代別当を務めた。「花厳院」は別当職である佐々木家の呼称。[br] 江戸時代に中世の出来事を振り返った記録では、三戸南部氏13代当主、南部守行が応永25年(1418年)、同町大向の川原に馬場を設け、流鏑馬を始めたという。藩政期は、同27代当主(盛岡藩2代藩主)南部利直の直筆とされる文書があり、社領を寄進する内容が記されている。[br] 今年、佐々木家の現当主である佐々木二郎茂成さん(86)から「文化財散逸を防ぐために文書を寄贈したい」と申し出があり、同神社で祭られてきた厨子(ずし)入りの仏像2体を含め、町が16日に受け入れを決定した。[br] 17日の記者会見で、町教委社会教育課史跡対策室の冷水健人主事は「南部氏に関する文献史料は数が少なく、極めて貴重。郷土の歴史を伝える記録でもあり、児童、生徒の教材として役立てたい」と説明。[br] 佐々木さんは「数百年にわたって代々受け継いできた大切な記録を、ゆかりのある町に寄贈できて安心している。郷土の歴史研究の一助になれば」とのコメントを発表した。[br] 文書の内容は1982年に旧南部町教委がマイクロフィルム化。本格調査の後、1995年に南部町誌と共に「史料編 花厳院文書」として刊行されている。南部町に寄贈された「花厳院文書」。右奥は仏像と厨子