九戸城跡の発掘調査説明会・本丸で門跡発見、藩主の出入り口か・身分の違い、城の構造に反映

当主の出入り口と見られる門の根石が見つかった現場=15日、二戸市の九戸城跡
当主の出入り口と見られる門の根石が見つかった現場=15日、二戸市の九戸城跡
二戸市教委は15日、国指定史跡「九戸城跡」の本丸追手裏手平場(おうてうらてひらば)で、城を治めた南部氏の居住域がある上段平場への出入り口とみられる門跡が発見されたと発表した。上段平場への出入り口は、ほかにも存在していたことが分かっていたが、.....
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 二戸市教委は15日、国指定史跡「九戸城跡」の本丸追手裏手平場(おうてうらてひらば)で、城を治めた南部氏の居住域がある上段平場への出入り口とみられる門跡が発見されたと発表した。上段平場への出入り口は、ほかにも存在していたことが分かっていたが、今回見つかった門跡は構造などから当主専用と考えられるという。家臣との間で城内の出入り口が使い分けられ、身分階層の概念が城づくりに取り入れられていたことを裏付けた。[br] 門跡は本年度の発掘調査で見つかった。戦国武将・九戸政実が豊臣軍に敗れた九戸の乱の後、豊臣側の蒲生氏郷らによって1591年に改修された「福岡城」時代の遺構で、門の礎石の下に敷き詰める根石(ねいし)が出土した。[br] 市教委は、根石の範囲などを基に、礎石が直径1メートル前後で、門幅が約2・4メートルと推定。正門に当たる追手門に使われている礎石と同程度の大きさとなることなどから、特別な身分の人たちによって利用されていたと推測した。[br] また、本年度の調査では、本丸の南土塁近くで、直径30センチほどの円形の跡が複数発見された。2メートルの等間隔で礎石を置いた跡とみられ、倉庫など比較的規模が小さな建物があったことがうかがえた。[br] 福岡城は織田・豊臣政権期の特徴を持つ「織豊系城郭」とされる。市教委文化財課の佐藤由浩主事は「織豊系城郭は身分の差を城の構造に反映させている。今回、藩主専用の入り口が見つかったことで、福岡城が階層性を持つ城郭空間を形成していたことが裏付けられた」と話した。[br] 市は18日午前10時半から、現地で市民らを対象にした発掘調査説明会を開く。問い合わせは、市教委文化財課=電話0195(23)8020=へ。当主の出入り口と見られる門の根石が見つかった現場=15日、二戸市の九戸城跡