八戸シーガルビューホテル閉館から3カ月/支配人だった久慈さん「鮫地区の方々に深い感謝」

八戸シーガルビューホテルの思い出を振り返る久慈剛さん。「鮫地区の方々に感謝したい」と語る=同ホテル
八戸シーガルビューホテルの思い出を振り返る久慈剛さん。「鮫地区の方々に感謝したい」と語る=同ホテル
「これまで支えてくれた鮫地区の方々にありがとうを伝えたい」―。新型コロナウイルス感染拡大の余波で、八戸市鮫町の「八戸シーガルビューホテル花と月の渚(なぎさ)」が4月に閉館してから約3カ月。2004年の開業から携わり、最後の時を支配人として迎.....
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 「これまで支えてくれた鮫地区の方々にありがとうを伝えたい」―。新型コロナウイルス感染拡大の余波で、八戸市鮫町の「八戸シーガルビューホテル花と月の渚(なぎさ)」が4月に閉館してから約3カ月。2004年の開業から携わり、最後の時を支配人として迎えた久慈剛さん(51)は、誰よりも長くホテルの現場で情熱を注いできた。閉館に至った無念の思いは消えることはないが、それ以上に地元への感謝の気持ちが大きい。シーガルビューホテルを愛した1人のホテルマンは今、いつか復活する日を願いながら、16年間の歴史をゆっくりと振り返っている。[br] 同ホテルは「はちのへハイツ」を前身とし、地元経済人が設立した運営会社「海の樹開発」が海辺のリゾートホテルとして04年に開業した。当時、別のホテルに勤務していた久慈さんは関係者に誘われ、立ち上げ時から運営に関わった。[br] ただ、その船出は順風満帆ではなかった。「オープン間近なのに、何も決まっていない状態。時間に追われるように開業した」。同年4月のオープンから連日のように大勢の人が訪れたが、「忙しくて十分に対応できず、悪評でのスタートだった」と苦笑いする。[br] 開業から約1年がたち、ホテルの“立て直し”が本格化した。「研修などを通して従業員の気持ちが一つになり、仲間同士の絆が生まれた」。次第にホテルの評価も高まっていった。[br] 地元密着の活動も大きな転機となった。鮫地区のイベントに従業員が参加し、地域住民と共に「人間カーリング」なども企画。地元とのつながりが深くなり、久慈さんは「鮫地区あってのシーガルビューという意識が生まれた」と話す。[br] 11年3月11日の東日本大震災時は、ホテルが避難場所になった。住民に温かい料理を提供し、避難者が鮫公民館に移った後も炊き出しを続けた。久慈さんは震災前日に支配人に就いたばかり。従業員と力を合わせて地元のために奔走した。[br] 13年5月には、ホテルの敷地を含む種差海岸が三陸復興国立公園に指定され、観光拠点としての役割はますます大きくなった。[br] だが、今年に入り急速にコロナ禍が広がった。最後の営業となった4月14日、久慈さんは常連客や従業員を前に涙をこらえることができなかった。「本音ではホテルを続けたい。でも、将来的な経営を考えれば仕方ない」と複雑な心境は今も変わらない。「従業員はみんな、シーガルビューが大好き。あのメンバーと働けないのは寂しいね」。[br] ホテルは既に所有者の市に返還された。久慈さんは現在、会社に1人残って清算手続きに当たっている。「16年間にわたり、地元と一緒に観光や地域活性化に向けて頑張ってきた。この火だけは消したくない」。シーガルビューホテルは幕を下ろしたが、いつか再び、誰かが思いを受け継いでくれることを願っている。八戸シーガルビューホテルの思い出を振り返る久慈剛さん。「鮫地区の方々に感謝したい」と語る=同ホテル