和風グリル「飛鳥」(八戸)が創業50年/コロナ禍でも奮闘「店を守り抜く」

「待っている人たちがいる限り、店を守り抜く」。決意を語る舘崎司さん(右)、錦さん夫婦=14日、八戸市
「待っている人たちがいる限り、店を守り抜く」。決意を語る舘崎司さん(右)、錦さん夫婦=14日、八戸市
昭和レトロな店内に、はしで食べられる昔ながらの洋食。八戸市のJR本八戸駅前にある和風グリル「飛鳥」は、家族連れやサラリーマンらに長年愛され、今年で創業50周年の節目を迎えた。災害や景気低迷など、さまざまな困難を乗り越え半世紀にわたり店を続け.....
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 昭和レトロな店内に、はしで食べられる昔ながらの洋食。八戸市のJR本八戸駅前にある和風グリル「飛鳥」は、家族連れやサラリーマンらに長年愛され、今年で創業50周年の節目を迎えた。災害や景気低迷など、さまざまな困難を乗り越え半世紀にわたり店を続けてきたが、新型コロナウイルスの影響は、過去に例がないほど深刻だ。客足は遠のき、夜は来店客ゼロの日も。それでも店主の舘崎司さん(75)は前を向く。「いつかお客さんは帰ってくる」。今日より明日が良くなることを信じて―。[br] 福島県出身。きょうだいが多く、自宅でもよく食事を作り、高校時代に所属した山岳部でも料理当番をしていたことから、卒業後、東京のホテルに就職し、料理人の道を歩み始めた。[br] 下働きとして雑用をこなしながら、必死に先輩たちの技を学ぶ毎日。好きなことに夢中になれる喜びから、つらいと思ったことは一度もなかった。 その後、縁あって八戸へ。ホテルやレストランで勤めた後、念願だった自身の店を開いた。豚肉料理をメインに置き、市内では初めてとも言われる、しょうが焼きをメニューに加えた。夜はコース料理を提供し、当時は珍しかったピザやスパゲティも販売。ソースも手作りにこだわるなど、昼夜問わずに厨房(ちゅうぼう)に立ち続けた。[br] 仕事に打ち込むあまり、妻の錦さん(79)とは、けんかすることもしばしば。錦さんは「こんなに働き過ぎる人とはいられないと思って、何度も家を出て行こうかなと思ったのよ」と笑う。「けど、何事にも一生懸命で気が付いたら許しちゃっていた」[br] この50年には店の危機が幾度もあった。八戸を襲った1994年の三陸はるか沖地震では、店内の食器や壁が大きく破損し、宴会が減少するなど影響を受けた。その度に常連客に支えられ、何とか乗り越えてきた。ただ、今回の新型コロナはいつもと様子が違った。[br] 街から店の光が次々と消え、よどんだ空気が包んでいるように感じた。店内では、客席を離して消毒も徹底。4月からは創業以来初めてテークアウト用の弁当の販売も始めた。だが、日に日に来店客が減り、夜の営業は売り上げゼロも珍しくなかった。[br] 何度も心が折れそうになった。それでも店に訪れる人たちの存在が何よりの救いになった。「料理を待っている人たちがいる限り、常に準備を続けていく」。料理人としての誇りが自らを奮い立たせた。どんなに苦しくても休業はしなかった。[br] 「今より悪い時はない。来年は必ずいいことが待っているはず。それまでは店を守り続ける」と舘崎さん。頼もしい言葉に錦さんは「この人といれば、コロナも必ず乗り越えられる」とほほ笑む。[br] 明るさを絶やさない夫婦には2人だけの“魔法”の言葉がある。「今日の体調はいかが」。錦さんが尋ねると、舘崎さんの答えはいつも決まっている。「体力的にも精神的にも毎日が絶好調」。「待っている人たちがいる限り、店を守り抜く」。決意を語る舘崎司さん(右)、錦さん夫婦=14日、八戸市