天鐘(5月20日)

新聞社だから当然なのだが、読者に文章でニュースを届ける立場として、やはり言葉の使い方には気を遣う。この言い回しは適切か、間違いはないかと、常に悩む日々である▼過ぎてから紹介するのも気が引けるが、この18日は「ことばの日」だった。単純な語呂合.....
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 新聞社だから当然なのだが、読者に文章でニュースを届ける立場として、やはり言葉の使い方には気を遣う。この言い回しは適切か、間違いはないかと、常に悩む日々である▼過ぎてから紹介するのも気が引けるが、この18日は「ことばの日」だった。単純な語呂合わせなのだが、言葉について考え、正しく使うよう心がけようという趣旨だ。小欄も改めて背筋が伸びる思いである▼コロナ禍にあって、冷たい言葉だ。感染症の相談に関する「37・5度以上」を、「あれは目安で、基準ではない」と言う加藤厚労相である。初めから基準ではなかったのかと思っていたら、「それは誤解」なのだという▼検査ができず亡くなった人もいる。分かりにくい「目安」と「基準」は、どうにも言い訳がましく聞こえてしまう。「誤解」に至っては、責任は国民にあると言わんばかり。納得する人はどれだけいるだろう▼「言葉」とは事実を意味する「言」に、口先だけに似た軽い度合いの「端」が付いてできたという。物事の軽重を知らぬ大臣ではあるまい。発せられる言葉の一つ一つは、その人の「心」や「気持ち」まで乗せている▼この国難の折、最も頼りにすべき政治家の言葉が響かない。かつて桜を見る会をめぐって出た、首相の「募ってはいるが、募集はしていない」以来、妙な薄さも気にかかる。果たして大丈夫なのか。命に関わる問題である。