【いざTOKYOへ】アーチェリー早川選手のマネジャー有賀さん(八戸出身) 二人三脚でメダル挑む

全日本選手権で3位となり、賞状を手に笑顔の早川漣選手(右)と有賀靖晃さん=2019年10月(有賀さん提供) 
全日本選手権で3位となり、賞状を手に笑顔の早川漣選手(右)と有賀靖晃さん=2019年10月(有賀さん提供) 
開幕まで3カ月を切った東京五輪で、選手と二人三脚でメダル獲得に挑む八戸市出身の男性がいる。自動車や住宅・オフィス製品の販売などを手掛けるデンソーソリューション(東京)の有賀靖晃さん(39)だ。有賀さんは2012年ロンドン五輪アーチェリー団体.....
有料会員に登録すれば記事全文をお読みになれます。デーリー東北のご購読者は無料で会員登録できます。
ログインの方はこちら
新規会員登録の方はこちら
お気に入り登録
週間記事ランキング
 開幕まで3カ月を切った東京五輪で、選手と二人三脚でメダル獲得に挑む八戸市出身の男性がいる。自動車や住宅・オフィス製品の販売などを手掛けるデンソーソリューション(東京)の有賀靖晃さん(39)だ。有賀さんは2012年ロンドン五輪アーチェリー団体銅メダリストで、今夏の同競技日本代表にも内定している同社所属の早川漣選手(33)のマネジャー。大一番が迫る中、「悔いなく試合に臨んでほしい」と、裏方としてアスリートが競技に専念できる環境づくりに注力している。[br][br] 有賀さんは八戸市立下長中―青森県立八戸西高―東海大卒。地元スーパーなどでの会社員生活を経て14年に同社入社、17年からスポーツ支援を担当。18年平昌(ピョンチャン)冬季五輪に合わせて別の所属選手のマネジメントを半年経験し、同年11月以降は新たに同社所属となった早川選手を担当している。[br][br] ただ、自身はアーチェリーの経験がなく、マネジャー業務も当時は手探り状態からのスタート。それでも日々のスケジュール調整や大会出場に必要な書類の準備、社内向けの活動報告、メディアへの出演交渉など、競技外で必要な“雑務”を懸命にこなした。[br][br] 多忙な中でも「アーチェリーを好きになってくれる人を増やしたい」と、PR活動や後進の育成にも熱心な早川選手に刺激を受けた。仕事に慣れた今でも「自分にできることを探している」と胸を張る。[br][br] 忘れられない出来事がある。同社と早川選手の契約直後に行われた大会。同僚と応援に行くと、早川選手が「会社の人が5人も応援に来たのは初めて」と喜んだ。自分たちを気遣ってくれたのかと思ったが、何度も大会に帯同するうちに閑散とした会場に危機感を覚え始めた。「まだまだマイナー競技。多くの人に早川とアーチェリーを応援してほしい」。有賀さんの心に火が付いた。[br][br] 同社社員に呼び掛け、応援団を結成。競技団体に働き掛けて観戦文化が乏しかった競技会場に応援ブースや横断幕を設置するなど、少しずつアーチェリー界の常識を変えた。コロナ禍で現地応援がかなわない現在は、社内でオンライン激励会を開催。大一番の試合前には、社員から早川選手への応援メッセージを集め、本人に届けることで背中を押した。[br][br] 五輪延期が決まってから、早川選手は新型コロナウイルスの影響や古傷の右肩の痛みに悩み、競技人生の岐路に立っていたという。有賀さんらが懸命に支えた結果、早川選手は「応援してくれた人々に恩返ししたい」と現役続行を決断。今年3月、晴れて代表の座を射止めた。[br][br] 7月23日から始まる本番に向けて調整に余念がない早川選手。有賀さんは代表合宿に帯同するなど、身近でサポートしている。これまで満身創痍(そうい)の状態で苦しむ早川選手の姿も見てきただけに「本番では誰のためでもなく自分のために楽しんでほしい。メダルを目指してくれれば」と話している。[br][br] ◆早川漣 2012年ロンドン五輪女子団体銅メダリスト。韓国出身で、小学3年からアーチェリーを始める。09年に日本国籍を取得。日体大4年だった10年に日本代表に初選出され、以降第一線で活躍を続けた。右肩の痛みから15年3月に現役を引退したが、16年4月に復帰。21年3月の東京五輪代表最終選考会を1位で突破し、自身2度目の五輪出場を決める。身長180センチ。全日本選手権で3位となり、賞状を手に笑顔の早川漣選手(右)と有賀靖晃さん=2019年10月(有賀さん提供)